USA Diary

August, 2015

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8月24日(月)きょうから学校が始まりました。午後4時ごろ、30分程度ですが、雷雨があり、大きめの雹も降りました。雹は余分でしたが、すこしでも雨が降ってくれたのはとてもありがたく思いました。でも、帰宅中の高校生たちには気の毒でした。雷で鳴き止んだセミたちも、雨の後、再び元気よく鳴き出しました。
8月23日(日)サンデースクールで学び、礼拝を守り、昼食のまじわりをし、次月のための相談会をしました。いつもと同じ普段の教会のいとなみですが、この積み重ねが教会を形作り、伝道となっていくことを信じます。守られた一日を感謝します。
8月22日(土)この一週間は特別なことはしていない一週間でしたが、なんだかとても疲れた一週間でした。夏の疲れがたまっているのかもしれませんが、当地ではまだまだ夏が続きますので、そんなことは言ってられません。今晩ゆっくり休んで、明日は元気に目覚めたいと思います。
8月21日(金)ふたたび暑い夏が戻ってきましたが、それでも、一時のような暑さではありません。外に出ても耐えられる程度です。少々暑くても、もうひと雨欲しいと思っていますが、雨の予報は当分無さそうです。
8月20日(木)ゆうべはまとまった雨が降ったようで、庭が濡れていました。でも、草を刈れないほどではなかったので、夕方草を刈っておきました。きょうは冷房のいらない一日を過ごしました。まるでカリフォルニアのような涼しさで、これはダラスの8月の気温としては記録ものだろうと思います。
8月19日(水)祈り会が終わって外に出ると、ひんやりとしました。急に気温が下がり、家についてしばらくしてから待望の雨がふりだしました。渇いていた大地が大喜びだろうと思います。
8月18日(火)教会に放射能除去のビジネスをしている人がいて、東京電力とのコネクションが欲しいので助けて欲しいということでした。私には何のお助けもできないので、ダラスの日本人団体に問い合わせてみてくださいとしか言えませんでした。それでも、教会にと、献金を残していってくださいました。
8月17日(月)ある方の送別のデナーがレストランでありました。このお店の照明が暗いので、小さなフラッシュライトを持ってきて、それでメニューを見ていた人が何人もいました。私は、以前携帯電話にフラッシュライトのソフトウェアを入れておいたのを思い出し、携帯電話を使ってメニューを照らしました。
8月16日(日)夏の間は礼拝出席人数が上下しますが、きょうは先週より少し多くなりました。なにより新しい方たちが繰り返して礼拝に来てくれるのはうれしく思います。皆が同じみことばで養われながら、共通のビジョンに向かっていけるよう、いつも祈り、願っています。
8月15日(土)アメリカをはじめ多くの国は戦争に勝って国を形作ってきました。しかし、日本は戦争に負けて新しい国に生まれ変わりました。8月15日は他の国々にとっては日本の支配にたいする「戦勝」の日ですが、日本にとっては「敗戦」の日です。そして、「敗戦」で良かったのだと思います。もし、「戦勝」であったら、再び軍隊の力で何かをしてしまったでしょう。敗戦を恥じることなく、もう戦争をしない、戦争を終わらせるという日として「終戦の日」を守っていく日本であってほしいと思います。
8月14日(金)毎年、VBS の最終日にはウォーター・スライダーを借りて水遊びをします。去年、ピックアップに来るのが遅かったので、今年は「2時30分から3時の間に来てください」とお願いしたら、なんと2時に来ました。子どもたちはまだ遊びたかったので、ピックアップを少し延長してもらいました。ピックアップが少し早かったかなとは思いましたが、一応2時終了ということで、子どもたちも満足できたようでしたので、よかったと思いました。
8月13日(木)VBS の期間中も礼拝メッセージの準備などがあります。きょうメッセージの準備をしましたが少し長いものになってしまいました。「短いメッセージほどよく準備されている」と言われます。文章を書き直すことを「添削」と言いますが、私の場合は「添える」ことよりも「削る」ことに心がけています。
8月12日(水)きょうの VBS では、おとなのクラスを家内に担当してもらって、こどものクラスを担当しました。ちいさい子どもとは、聖書のお話をからだで覚えてもらおうと、遊具でボートを作って遊びました。子どもは(おとなもそうかもしれませんが)遊びを通していろんなことを学んでいくのだと思います。
8月11日(火)今年の VBS は去年よりも子どもの数が少ないのですが、だから「楽」だというわけにはいきません。去年は VBS から帰ってきてから昼寝をしなくてもよかったのですが、今年は、ふだん昼寝をしない私も、昼寝が必要でした。VBS の他にも精神的な負担があるからかもしれません。
8月10日(月)きょうから VBS がはじまりました。小羊園が夏休みになってから会っていなかった子どもたちに再び会うことができてとてもうれしく思いました。
8月9日(日)あすからはじまる VBS のために準備の集まりをしました。短時間で終わることができて良かったと思っています。以前は午後遅くまでかかったということですが、話し合ってものを決めていくことよりも、みんなでいろんな話をしながらことが多かったからではないかと思います。下ごしらえができていれば、会議にあまり時間をかける必要はないと思っています。「会議とは hours を失って minutes(議事録)を得ることである」という皮肉な言葉がありますが、そうならないようにしたいと思っています。
8月8日(土)日本ではきょうは「ナガサキの日」。長崎市長が式典でのメッセージの中で、同席した首相に安全保証関連法案のことで苦言を呈したのは、当然のことと思い、また、勇気のあることだと思いました。かつての長崎市長がその発言のために銃弾を受けたようなことが起こらないよう、この言論の自由が守られるように願っています。法律では言論の自由がうたわれていても、心ない攻撃やいやがらせ、また、集団感情というものが自由を奪うことがあります。日本に定着してきた民主主義がこわされないようと願っています。
8月7日(金)カリフォルニアなどでは、日系人への差別については、学校教育でもとりあげられています。政府がそのために予算を出したからです。しかし、大きな軍隊をもつアメリカが原爆を含めた平和教育を学校で行うのは難しいことだろうと思います。戦争によって独立を勝ち取った国と、そういうことのなかった国とでは、やはり、環境があまりにも違いすぎます。しかし、人権や人道を大切にするなら、その面からの平和教育も可能だと思います。日本で平和教育を成功させたアメリカなのですから、自らを教えることができると思っています。
8月6日(木)アメリカの歴代の大統領は原爆投下について「戦争を終わらせるため」という立場をとっています。しかし、原爆の悲惨さを思うとき、その論理だけでは、国際社会は納得しないだろうと思います。原爆は日本との戦争を終わらせたとしても、そのあとに続く「核競争」を開始させてしまいました。アメリカはかつての日系人への強制収容の過ちを認め、謝罪と補償をしました。日系の方々は大統領から謝罪の手紙を受け取っています。それは短い文章ですが、はっきりと謝罪が表明されています。アメリカ市民の中に原爆の悲惨さが十分に理解されるようになれば、被爆者に対する大統領の名での謝罪表明がなされる日がやってくるかもしれません。
8月5日(水)日本では6日、「ヒロシマの日」でした。祈り会で世界の平和のため祈りました。核兵器廃絶を訴える日本がとるべき道は、核兵器を含め、戦争を紛争解決の手段としないという確かな覚悟だろうと思います。そのことを国際社会に向かって発信しなければ、核兵器廃絶への訴えは効果的でないように思います。
8月4日(火)きのう、教会のトイレットを直してくれ、きょうはとても調子がよくなっていました。ボランティアの働きを感謝します。
8月3日(月)近所の犬が夜中にないてうるさいので、市のアニマルサービスに相談にいきました。アニマルサービスから注意をしてくれるということになりました。とても親切に対応してくれました。
8月2日(日)礼拝では日本の殉教者たちのことを話し、夕礼拝ではそのドキュメンタリー・ビデオを観ました。ビデオをよく理解できるようにと、キリシタン史の年表を作って配りました。英語を話す人たちのほうが、日本のキリスト教を知りたいという思いから、熱心に学んでいたように思いました。
8月1日(土)6月までは雨があったのに、7月はほとんど雨がありませんでした。一雨欲しいと願うこのごろです。枯れては困るものだけ、ホースで水をやっています。雑草の多いヤードは茶色くなってしまいました。
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