USA Diary

December, 2016

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12月1日(木)今、近藤勝重さんが書いた『早大院生と考えた文章がうまくなる13の秘訣』という本を読んでいます。近藤さんは、ポッドキャストでいつも聞いている川柳番組の選者で、とても親しみを覚えています。近藤さんの本では、以前、『しあわせの五・七・五 足して引きひとつ残ればいい人生』を読んだこともあります。人生に対する暖かがにじみ出ているような本でしたが、近藤さん自身がそういう人なのだろうと思います。「文は人 それなら私 どんな人」
12月2日(金)近藤さんがあげている「文章がうまくなる秘訣」の中に、「街を歩き、好奇心をもってものを見る」といったことがありました。私は好奇心は人一倍強いほうだと思いますので、それは問題ないのですが、街に出歩くことが少ないので、この点ではもう少し努力したいと思います。「物事は 足を使って 考えろ」
12月3日(土)12月の第一土曜日は市のクリスマスパレードがあるのですが、雨のため中止となりました。ハイスクールのマーチングバンドのみんなは、夏休みにもずっと練習してきたのに残念だったろうと思います。パレードのかわりに校内で何かの催しがあったようで、午後からもたくさんの車が学校の駐車場にありました。この日は、毎年、日本人会のバザーと重なるので、雨でなかったとしても、パレードを見ることはできませんでした。「キャンセルに 雨が憎いと 誰か言い」
12月4日(日)きょうは「平和のキャンドル」を灯して礼拝をはじめました。「平和」には「戦争がないこと」の他に「繁栄」や、心の「平安」という意味がありますが、きょうは心の「平安」について話しました。もっとも、この三つはすべて関連しており、その関連についても話したかったのですが、それは別の機会に話すことにしました。「キャンドルは 生きてる灯り 酸素吸う」
12月5日(月)最近の私の礼拝メッセージは20分にしています。長く話したからといって、それで聞く人たちの理解が進むわけではないからです。また、メッセージはあらかじめ翻訳され、当日の同時通訳者に渡されますが、長いメッセージは、翻訳や通訳の負担になるからです。20分というのは、さまざま試してみた中で生まれた時間です。「十分に 届け御言葉 二十分」
12月6日(火)日曜日と月曜日の雨のあと、急に気温が下がってきました。まだ氷点下にはなりませんが、部屋の暖房温度を少し上げました。弾冷房装置を変えて、冷房はうんと電気代を節約できたのですが、さて、暖房代はどうなるでしょうか。「お願いね 暑さ寒さも ほどほどに」
12月7日(水)きょうは、アメリカでは「パールハーバーの日」。半旗を掲げることになっています。この日を前に日本の首相がオバマ大統領といっしょにパールハーバに行くことを発表していましたが、心からのものというよりも、何やら特別な意図がありそうです。首相はプーチン大統領とも会いますが、日米、日露の両方の関係が、これからどんなバランスで進んでいくのか、とても心配です。「大国に はさまれ日本 どう生きる」
12月8日(木)この日曜日はゲストスピーカーですので、メッセージの準備が無く少し楽ですが、来年のメッセージの予定も立てなければなりませんし、「レントの黙想」の準備も必要です。毎年、英語の「黙想」をどうしようかと考えているのですが、幸い、英語の黙想を引き受けてくれる人が与えられたので、この日曜日にそのことを相談したいと思っています。日本語と英語はそれぞれ別々のものになりますが、英語で「レントの黙想」を準備できるのはうれしいことです。「主の受難 たどる仲間が もっと増え」
12月9日(金)きょうは「聖書入門」と「子羊園」がありました。「聖書入門」ではヨハネの福音書を学んでおり、「ことばが人なった」ことを学びました。「クリスマス 受肉の奥義 思いつつ」
12月10日(土)きのうすこしやり残した、ゲストスピーカーのメッセージの英訳を終えてから、礼拝用のスライドの準備をしました。クリスマスの賛美に、案外歌われていないものが多くあり、新しくスライドを作ったものが数曲ありました。クリスマスの賛美は、この時期でないと歌わないので、いまのうちにたくさん歌っておきたいと思います。「古き歌 歌い返せや 新しく」
12月11日(日)クリスマスの賛美で私の好きなのは、パウル・ゲルハルトによる「馬槽の傍えに」です。今、教会で使っている新生讃美歌にも載っているのですが、慣れ親しんだ聖歌や新聖歌の歌詞のほうが、私の心に響きます。その歌詞に「貴き貧しさ」という言葉があるのですが、じつに、主は「貴き貧しさ」をもってお生まれになりました。その貧しさゆえに、富めるものとされていることに感謝せずにはおれません。「御栄が 貧しき様に かがやきて」
12月12日(月)車の登録の更新が今月なので、先月やっておいた検査の書類をもって納税所にいってきました。幸い長い列に並ぶ必要がなく、すぐにやってもらいました。車の運転席側の前面ガラスに貼ってあった古いステッカーをはがして、新しいステッカーにはりかえました。このとき、古いスティッカーの接着剤がガラスに残ったのですが、普段使っている酢の入った洗剤をかけるときれいに取れました。酢の洗浄力に感心しました。「イエスの血の 洗浄力に 勝る無し」
12月13日(火)教会のメンバーがいるケアホームにキャロリングにいってきました。以前はキーボードがあったのですが、今回はありませんでした。けれどもヴァイオリンをひいてくれる人に来てもらったので、ヴァイオリンのリードでたくさんキャロルを歌いました。次回は、ポピュラーな讃美歌をいくつか選んで、また来ましょうということになりました。「歌ううち 笑顔が戻る ケアホーム」
12月14日(水)私が日本で卒業した神学校の通信が届きました。学校や同窓生の様子がわかるだけでなく、図書館からの情報や教会音楽ニュースレターでの楽曲解説も貴重な資料です。教会音楽専攻講師が讃美歌のあり方について書いています。教会音楽科を創設された岳藤豪希先生が「礼拝のための音楽は、それによって、どれだけみことばが人々のうちに宿るかという点から考えなければなりません」と言っておられた言葉がそこに引用されていましたが、私もそのとおりだと思います。賛美を歌って御言葉が思い起こされてくる、それが本来の讃美歌だと思います。また、礼拝の前奏も、演奏者の技能を聞かせるものになりがちですが、やはり、それを聞く人に御言葉を思い起こされるものであってほしいと願っています。「御言葉の しもべとなれや 音楽は」
12月15日(木)娘の保険のため、ドクターからのレターが必要でしたので、娘のクリニックにいってきました。面倒なお願いでしたが、親切に対応してくれました。書いていただいたものが、保険会社で受理されますようにと願って、書類を準備しました。その帰り、部屋に飾った小さなクリスマスツリーのために、電池で灯る LED のライトを買いました。クリスマス用品が三割引きになっていて、安く買うことができました。これからがクリスマスなのですが、商店ではもうクリスマス用品を売り切って、次の商品を入れようとしています。じつにせわしいことです。「せわしさに せきたてられて 終わる年」
12月16日(金)近くの幼稚園でのクリスマス会に、お話をたのまれたので行ってきました。こどもたちの他、保護者の劇もあり、楽しいもので、いろいろ、アイデアをいただきました。キリスト教保育をうたっており、場所も教会で行われているのですが、クリスマス会の主人公は「サンタさん」でした。その中で、クリスマスの主人公がイエスさまであることを伝えられたらと願って話しました。「御子イエス 子らの心に 生まれませ」
12月17日(土)12月8日に亡くなったジョン・グレン氏を悼んでの半旗は、きょうの日没で終わります。彼はアメリカではじめて地球を回った宇宙飛行士となった人です。上院議員を務めた後、77歳で再び宇宙飛行に出かけています。映画「ディープ・インパクト」では、地球を救うため宇宙飛行士が犠牲となりますが、彼がモデルとなっていると言われています。軍人、宇宙飛行士、政治家として国のために尽くした功績がたたえられています。「ヒーローの 多く世を去る またひとり」
12月18日(日)きのうは午前、午後ともとても暖かかったのですが、夜、冷たい風が吹き荒れ、気温がどんどん下がり氷点下になりました。みんなが礼拝に来るのに大変ではないかと思ましたが、風も収まり、日ざしもあって、大丈夫でした。もうヴァケーションに入っている人もいて、きょうはいつもより少し数多い人たちといっしょに礼拝をささげることができました。「クリスマス 帰省の人で 賑わって」
12月19日(月)nextdoor.com という、近隣の人たちで作っているソーシャルネットワークに加入しました。ソーシャルネットワークは悪用されるのが嫌で、加入していなかったのですが、近隣の人に限定されたものなら安全かと思っています。写真やその他のプロファイルは様子をみてからアップロードしていきたいと思っています。「ご近所も ネットワークで おつきあい」
12月20日(火)私は、いくつかのクリスマスの歌の CD や DVD を持っていますが、お気に入りはアイルランドの教会での Libre の演奏会をライブ収録したものです。Libre は英国の少年合唱団で、その澄んだ歌声は多くの人から愛されています。けれども、私の身近な人たちが、コーラス・グループで歌っているにもかかわらず、Libre を知らないので、とてもがっかりしています。「のびかやかに 歌う少年 天使の音」
12月21日(水)私が Libre をはじめとしてアメリカや英国の少年合唱が好きなのは、彼らの歌声が「磨かれた」ものであっても、「作られた」ものではないことです。日本のコーラス・グループの場合、子どもなのに大人のように歌ったり、技巧ばかりが前に立つものがあって、あまり好きになれません。子どもは子どものように素直に、また原曲をあまりいじらないで歌う姿勢はとても好感が持てます。「作り物 あふれる中に 光る声」
12月22日(木)讃美歌でも、普通に歌うのは恥だとでも思っているかのように、妙に原曲を変えて歌うコーラス・グループがありますが、そこには、歌い手の技量を「聞かせる」ことに重点があり、その歌が本来持っている美しさを「表現する」ことを忘れているのではと思うことがあります。私も、説教者として、「聞かせる」ことに心を向けるのではなく、みことば自体がもっている輝きを「表現」する者でありたいと、いつも願っています。「ちょっと待て わたしは歌を 聞きたいの」
12月23日(金)たしか5年前の2011年も日曜日がクリスマスだったと思います。そのとき、私はカリフォルニアにいたのですが、「こんどの日曜日はクリスマスなので、礼拝を休みます。家で楽しい時を過ごしてください」といって本当に礼拝を休んだ教会がありました。前日に礼拝があったのだろうと思いますが、「クリスマスは家庭の日」という考え方には賛成できません。クリスマスは Christ + Mass、礼拝の日です。形だけの「礼拝式」ではなく、心のこもった礼拝をしたいと思います。「クリスマス 来たり拝せよ 神の子を」
12月24日(土)クリスマス・イヴ礼拝で「オー・ホーリー・ナイト」を歌ったのですが、私の期待していた歌い方でなかったので残念でした。来年は礼拝で、きちんとした形で歌いたいと思いました。「きよき夜 心静かに 主を想う」
12月25日(日)クリスマス・イヴが土曜日、クリスマスが日曜日というのは、素晴らしいことなのですが、多くの人にとっては、かえって教会に出かけにくかったのかもしれません。きょうは新しい人たちも見えましたが、いつものメンバーが少なかった礼拝になりました。「主の民よ 大いに祝え 降誕日」
12月26日(月)24日、わが家のメールボックスが車にあてられて、支柱もろとも大破しました。新しいものを郵便が届くまでに取り付けようと、朝、ホームデポで買ってきて設置しましたが、きょうは郵便は休みでした。急ぐ必要はなかったのですが、早めにやっておいて良かったと思っています。「人々と わが家をつなげ メール箱」
12月27日(火)12月18日の日曜日はとても寒かったのに、25日の日曜日は、とても暖かい日になりました。きのうは家の窓拭きなど、ずっと外で作業していましたが、汗ばむほどでした。きょうはきのうほどではありませんでしたが、多くの人が半袖で出歩いていました。「暖かく 温かい日に クリスマス」
12月28日(水)今年最後の祈り会ではシメオンの歌「ヌンク・ディミティス」を黙想しました。古代の人々は一日の終わり、就寝前にこれを祈りましたが、これは、一年の終わりの祈りとしてもふさわしいと思います。「主を見れば 世を去るもよし 満ち足りて」
12月29日(木)きょうは林の中にあるお宅を訪問しました。入り口に目印をおいてくださったので夜でも場所を見つけることができましたが、それがなかったら、おそらくわからなかったでしょう。そこは、まるでリトリートセンターのようなところでした。神は、アダムとエバを森の中に置かれました。人は森から出て街をつくるにつれ、霊的な感覚をうしなっていったのかもしれません。自然に囲まれ暮らしているこの家の人々がより神に近づかれるよう祈りました。「森の中 神と語らう 人がいる」
12月30日(金)きのう早めに週報を作っておき、きょうは、一年のやり残していることをしましたた。やるべきことを後回しにしなければ、年末をゆったりと過ごせるのですが…。「師走とて 走らないのが 真の師ぞ」
12月31日(土)明日の午後、ひとりびとりが自分の愛唱歌を持ってきて、それについて話す集まりをします。新年を御言葉と賛美ではじめようというわけです。私は、礼拝の賛美にそれを入れてもらいましたが、時間があればということで、「きょうまで守られ」を選んでおきました。「この年も 神の守りで この日まで」
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