USA Diary

March, 2016

Home Prev Year Prev Month Curent Next Month Next Year
3月1日(火)教会にとりつけた大型テレビとコンピュータをつなぐためのケーブルを買って、つなごうとしましたが、端子がマウントの金具の裏にあって、つなげることができませんでした。それで、日曜日に、テレビをいったんマウントから外してもらってからつなげることにしました。もっと接続しやすいところに端子をとりつけてくれたらと思いましたが、テレビを買うとき、そこまで考えませんでした。「ひとりでは 力にあまる デカテレビ」
3月2日(水)祈り会ではヨハネの黙示録を読んでいます。黙示録に出てくる天の礼拝の描写は、初代教会の礼拝を反映しているように思います。礼拝の心と形を再考しはじめて10年になりますが、黙示録から学ぶことが多くあります。「三聖唱 天と同じに この地でも」
3月3日(木)先週受けた検査の結果を聞きに医者のところに行きました。結果は良好で、コレステロールのコントロールのためにフィッシュオイルを摂ること、糖尿にならないためにご飯を控えることなどの注意をもらいました。あと、運動も心がけて健康をキープしたいと思います。「この先も 薬いらずで 過ごしたい」
3月4日(金)>暖房を修理してもらいましたが、ある程度までしかできませんでした。それで全体を新しいものに替えることにしました。このシーズンは寒くも暑くもないので、冷暖房を取り替えるのにはいちばん適している時ですが、お財布の方は、タックスの支払いを控えて、あまり適当な時ではありませんでした。「どちらかが 寒くなるもの 財布・部屋」
3月5日(土)明日は「ハーベスト・アメリカ」。雨が降るらしいのですが、日曜日はなんとか大丈夫なようです。もっとも、会場のスタジアムは屋根のあるドームなので、雨でも大丈夫ですが、やはり、良いお天気であってほしいと思います。「ドームにも 恵みの雨よ 降りそそげ」
3月6日(日)長い間祈ってきた「ハーベスト・アメリカ」に行きました。3時30分まで仕事がある人をピックアップして行ったのですが、途中のフリーウェーが渋滞で、会場に着いたときには、10万人の会場がいっぱいで、外にも人があふれていました。やむなく帰ってきましたが、ぎりぎりでも間に合うかと思ったのが甘かったようです。でも、会場まで行けただけでも良かったと思います。「此処に皆 集まって聞く 福音を」
3月7日(月)きょう、インターネットで「ハーベスト・アメリカ」でのグレッグ牧師のメッセージを聞きました。最上階からフィールドまで降りてくるのに15分はかかるでしょうが、信仰の決心をした人たちに、そこから降りてくるようにとの呼びかけてメッセージが締めくくられていました。ビリー・グラハム大会のように「招き」のシーンは映しだされていませんでしたが、きっと多くの決心者が起こされたことと思います。「福音に 応えて来たれ 恵みの座」
3月8日(火)きょう冷暖房の工事に来てもらいました。工事中づっと雨でしたが、工事が終わってやっと雨が上がりました。外での工事もあったので、雨に濡れて気の毒でしたが、寒くはなかったのが、せめて良かったと思います。「帰りには せめても晴れ間 春の雨」
3月9日(水)ダラス・モーニング・ニュースによると、ダラスでの伝道集会では、2002年10月のビリー・グラハム大会に4日で 225,000人が参加したのがいちばん大きなものだったそうです。今回の「ハーベスト・アメリカ」は一晩で10万人でしたから、動員数ではそれに勝るものでした。グレッグ牧師は、ビリーグラハムの後継者のような働きをしていますが、さらに、グレッグ牧師の働きを継ぐ次の伝道者が必要だと思っています。神さまはきっと備えておられることでしょう。「福音を 曲げすに語る 人求む」
3月10日(木)今週は毎日雨でしたが、ひどい雷雨ではなく、わりあい静かで、渇いた地を潤してくれています。庭の草がだいぶ伸びました。雨があがり、地面がかわいたら草刈りが必要になりそうです。「雨受けて 草も元気に 伸び伸びと」
3月11日(金)教会に大型テレビをつけました。コンピュータとつなぐことができるようにしましたので、こんどの日曜日から使えるかどうか試してみました。なんとかうまくいきそうです。「ハイテクは 停電の時 どうするの?」
3月12日(土)日本からの来客と夕食をともにし、日本の教会の様子をうかがうことができました。日本の社会と同じように教会も高齢化が進んでいるようです。若い世代への伝道は、若い世代でしかできないと思います。若い人たちが伝えるべき福音をしっかり握りしめられるようにするのが、私たちの世代の責任だと思いました。「いにしえの 聖徒伝えし 福音を」
3月13日(日)きょうから、教会にとりつけた大型テレビを使っての礼拝をはじめました。「プロジェクターとスクリーンよりも、よく見えるようになりました」という声を聞いて安心しています。「高らかに 歌え十字架 わが命」
3月14日(月)カリフォルニアでの牧師会に出かけました。車は空港近くのパーキングに預けました。空港に着いてから、もっと安いパーキング場があるのを知りましたが、そこは屋根がありません。ダラスではときどき雹が降りますので、屋根のあるパーキング場のほうが安心です。でも、次回は天気予報をよく見ておいて、雹の心配がなければ、安い方も試してみようかと思っています。「空の旅 行き交う人の 安全(ぶじ)祈る」
3月15日(火)夜、研修の時がありました。「コミニケーション」についてのお話ということで期待していたのですが、「第一印象」のことで終始し、発展がなかったのが残念でした。神の言葉を日本人にどのように伝えるか。伝道、牧会、説教の現場からのお話を聞きたいと思いました。「伝えたい 自分ではなく キリストを」
3月16日(水)今日は「ヨハネ3:16の日」です。「神は、その独り子をお与えになったほとに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(新共同訳)来年の3月12日にはこの箇所から説教し、「3月16日には、誰かにヨハネ3:16を分かちあいましょう」と呼びかけたいと思います。「それ神は その独り子を たもうほど」
3月17日(木)この時期、ダラスもロサンゼルスもあまり気温が変わりませんでしたので、持っていったジャケットも着ることがありませんでした。「我慢して 風邪ひくよりは ジャケットを」
3月18日(金)帰りのフライトで預けた荷物が、なかなか出てこないと思ったら、別のところにありました。私が荷物をとりそこねたからだと思います。それで、ちょうど道が混む時間になってしまいました。でも、無事に帰ってくることができました。「空よりも 地上の行き来 時間食い」
3月19日(土)カリフォルニアから説教原稿を送ったのですが、きょう、翻訳が帰ってきました。でも、ひとりからは帰ってこなかったので、その部分は私が訳して、英語原稿も用意しました。礼拝メッセージは、今年から英語訳もアップロードしていますが、ネイティブ・スピーカーに手を加えてもらう必要があります。どなたかボランティアがいればと願っています。「御言葉で ひとつになれよと 語る朝」
3月20日(日)きょうはパームサンデー。講壇がパームで飾られました。お花もきれいですが、パームの緑もまた心をいやします。礼拝は、「見て」「聞いて」「触れて」「味わって」「嗅ぐ」、五感のすべてが働く場ですから、礼拝の場を整えるのは大切なことだと思います。「礼拝を 神を感じる ひとときに」
3月21日(月)ずいぶん草が伸びたので、草刈りをしました。すこしは見栄えがよくなったと思います。ブッシュも刈り込みはいつするのがいいのか、調べてからにしたいと思います。「出した芽を 刈り込めなくて 垣根伸び」
3月22日(火)先週はほぼ一週間家を空けたために、仕事が溜まってしましました。やらなければならないことを、すこしづつ、片付けています。「いつの日か 事に追われず 過ごしたい」
3月23日(水)夜、雷雨があり、雹が降りました。その前にテレビで警報がありました。予報通りの進路、時刻に、かなり大きな雹が降りました。雹で車が痛むことがありますが、幸い、私の車はガレージに入れてありましたので、大丈夫でした。「嵐をば 予報できても 止められない」
3月24日(木)昨晩の嵐で、木の新芽がだいぶ吹き飛ばされ、屋根や庭に散らかりました。屋根に散らかったものはやがて雨樋に入るでしょうから、雨樋の掃除も、そのうちしなければならないかと思います。私は高いところは苦手なので、慎重にしたいと思います。「昔から 高所恐怖は 続いてる」
3月25日(金)グッドフライデーでしたが、小羊園をしました。イエスさまの十字架について書かれている聖書を共に読みました。夜は、十字架の七つの言葉からの分かちあいの時を持ちました。サッカーの試合で日本から来ていた青年たちが、ホストファミリーに連れられ、参加しました。それぞれの心に十字架が残るようにと祈りました。「刻まれよ 心の奥に 十字架が」
3月26日(土)「レントの黙想」もきょうで終わりです。多くの人々が利用してくれたのですが、今年はコメントの書き込みが少なかったように思いますが、私たちが常に十字架の傍にいるために用いられればと願い、息長く続けたいと思います。「年ごとに 深まれレント 霊の旅」
3月27日(日)イースター礼拝を、もうひとつの日本語教会と合同で行いました。どこの教会でもイースターは、ふだんよりも出席が多いので、礼拝につかっているホールが一杯になりました。それに食事を摂るラインが長くなり、時間がかかってしまいました。工夫が必要だと思います。けれども、エッグハントをし、食べて終わりではなく、証しを分かちあい、ともに祈って終わることができたのは、感謝なことでした。「ハレルヤと 一同叫ぶ イースター」
3月28日(月)先週の嵐で散らかった庭を片付けました。バックヤードを片付けるだけでずいぶん時間がかかってしまいました。「春の日に こころもともに クリーンアップ」
3月29日(火)散歩していたら、庭にスプリンクラーを設置しているのを見ました。近所の家の多くがスプリンクラーを入れているのを見かけます。私たちも欲しいのですが、そのためには芝生を植え直す必要があります。大工事になるので、当分は見送ることになるでしょう。「水のある ところに命 保たれる」
3月30日(水)以前祈り会に来ていた青年がひさしぶりに戻ってきました。日本語で書いた祈りを持ってきてそれを祈ってくれました。三人だけの祈り会でしたが、良い時を持つことができました。「祈る群れ わずかであっても 主はそこに」
3月31日(木)礼拝メッセージの最初の部分を書き改めることになって、きょうは休むのが随分遅くなってしまいました。このところ教理的なメッセージになってきているので、もうすこし別の観点から語る必要を感じています。「語る者 聞くものともに 恵まれる」
Home Prev Year Prev Month Curent Next Month Next Year