心さえ明るければ
かなりの辛さに耐えられる
もし私の心が
神を信じてほんとうに明るければ

髪の毛を数えておられるお方


私の髪の毛を
全部数えているお方
母親よりも細やかな愛で
やさしく数えてくださる
私の神

どうして私のこの苦しみ
悲しみを
知らないわけがありましょう
愛のまなざしを閉じるわけが
ありましょう

人の髪の毛を数えてくださる
全知全能の神が
罪人の私のために
生命を捨てられたのです

こんな神が居るなんて
こんな愛があるなんて!
あなたはそれを知っていますか

ほんものの信仰を


友よ
ほんものの信仰を見つけてください
人の中にではなく
聖書の中に
単なるキリスト教という宗教でなく
人となられた神である
キリストを
あなたの内側で知ってください

友よ
形式や外面ではない
あなたの魂を救う
ほんものの信仰をみつけてください

あなたがほんとうに
愛と真理に生きる喜びを
味わうために
あなたの人生をほんとうに
価値あるものにするために

こんな深い主の愛を


誰が知るでしょう
こんな深い主の愛を
計り知ることのできない
無限の愛を
受ける資格のない身に
あふれるように注がれる
こんな深い こんな深い
主イエスの愛を

誰が知るでしょう
こんな大きな主の力を
計り知ることのできない
全能の力を
望みの全く見えない時も
必ず救いを備えられる
こんな大きな こんな大きな
主イエスの力を

夕日に輝く十字架


空が濡れる
大地が濡れる
木々も屋根屋根も
濡れに濡れて
もっともひどく 私の心が濡れる
人の世に降る冷たい雨に

ゲッセマネの園が濡れる
ドロロッサの道が濡れる
カルバリの丘が濡れる
主の血と汗と
人の心の汚泥のために

祈り祈って
私の心が主の十字架に届くと
次第に空は晴れて
主の十字架が夕陽に輝き
辺り一面を光に包んでゆく

愛の十字架


イエス・キリストの十字架
何ともおそるべきあの十字架
言葉に絶する極限の受難
あゝその凄惨さ

しかしあの十字架は
愛なのだ
愛の真髄であり
愛のすべてであり
全世界に湧き上がって
あふれる神の愛の泉なのだ
高く聖く深い
大きな大きなこの愛は
言い尽くそうとしても
言葉を超えてしまう

この十字架によって
人は神の愛を知る
この愛で
自分が神に愛されていることを
知る時
人は生きる喜びと力を得る

神のみ子の十字架から
今も愛が流れ出ている
信じる者すべてのために

身代り


主がむち打たれたのは
私の傷を癒すため

主がいばらの冠をかぶられたのは
私の心と人生から罪の棘を除くため

主がドロロッサの道を歩かれたのは
私がうつむいてヨロヨロと
人生の道を歩かなくていいようになるため

主が十字架で死なれたのは
私が自分の罪のために死ななくて済むため

主の十字架のお苦しみは
みんなみんな私のため
私を救うため
罪深い私の身代り

(主の十字架はすべての人のためです)

私だった


主イエスを
「十字架につけよ」と叫んだ
その声の一つは私だった

主のかしらにかぶせた
いばらの冠の棘の一つは私だった

主の背を打ちつけた
はげしいむちの一つは私だった

主をののしりあざけった
口の一つは私だった

それは私の罪だった
そうして私の罪は
罪のない神のみ子を
十字架につけた

主イエスは十字架で
私のすべての罪をゆるされた
その聖い血潮をみんな流して


天の扉を開ける鍵は
主の十字架の血潮で作られている

その鍵は
罪を悔いて十字架を仰ぐ
すべての者に
神のみ手から
一人一人に手渡される

それを持つ者は随時
天の宝を自由に持ち出すことができる
ガラクタばかり多い世にあっても
天の宝を得て
満ち足りて生きることができる

ハレルヤ!十字架


もしも
主の十字架に出会わなかったら
私は生きる道がよくわからず
希望も気力もないまま
暗くて 寒い道を
不満だらけの惨めな心を抱えて
今も
凍えて
曲がって
とんがって
ただ うろうろしていたに
ちがいない

イエスさまの十字架に出会って
私は暖められ
まっすぐになり
強くされ楽になって
命の道を踏みしめている

ハレルヤ 主の十字架
救いの力だ!


つぶやきが口をつぐむ
イエス様のお苦しみの前で
我が身を恥じて口をつぐむ
罪なきお方の十字架の前で

主のお姿


深い悲しみの中で主を仰ぎ
「悲しみのあまり死ぬほどである」
とおっしゃった主のお姿が見えた時
私の心から
私の悲しみが静かに消えていった

主 よ


愛に満ちた主よ
どうぞ私の考え方の主となり
物事の受け取り方の
主となって
常に私の心を
支配してください

私が決して
物事を否定的に受け取って
自分の人生を
暗くて狭い部屋で
うずくまるようなものに
しないために

扉は開く


どんな難しい問題を抱えていても
神を信じて
神に解決を求めて祈れば
必ず
解決の扉は開く

教えて下さい


この悲しみの意味を
主よ私に教えてください
マイナス面だけが大きく見える
私の目に
主よあなたが知っておられる
この悲しみのプラスの面を
どうか私に見させてください

小さき者に


み前にひれ伏す
罪深い者に
主よみ顔を向けてください

み顔を拝する
小さき者に
主よみ手を伸べてください

み手にすがって
請う者に
主よみ声を聞かせてください

懇 願


悲しみよ
今 口を開かないでください
あなたの言い分を聞く
余裕がないのです
よく祈って
心が静まるまで
どうかしばらく
口をつぐんでいてください

静寂を求む


静けさがほしい
今何よりも
静けさがほしい
人の世の
いっさいの煩わしさから
汚らわしさから
切り離された
神だけが見える
美しい静寂が今
切にほしい

私の願い


決して驕ることがなく
力んだり
うつむいたりしないで
いつも静かに
真っすぐに前を向いて
上を見あげながら

優しい心だけはいっぱい持って
辛い人がいたら
すぐ駆け寄ってあげる
それだけがよくできたら
他の事はたいして上手に
できなくてもいいと
私は思っている

神さまの愛の聖手で
心をいつもきれいにしてもらって
静かな日々を過ごしたいと
私は願っている

そういう生き方をして
少しなりとも
神さまのお役に立ったら
この上なく幸いだと思っている

私はあまり大ごとに
係わることは好きではないし
小さな美しい幸いを
この上なく願っている

信仰不足


自分の力では
自分の罪や弱さに
絶対に打ち勝てない
神さまにしていただく以外にない

聖書がくりかえし教えている
こんな明白なことが
本当に解るのに
こんなに手間取るなんて

私は信仰の足りない者です

幸 い


それにしても
みことばは言う
「悲しんでいる者は幸いである」と
そうか私は
悲しみという幸いを
今持っているのだ
何にもないと思っていたけど

神よ私に
この幸いを噛みしめる力を
与えてください
みことばの約束通り
悲しみが慰めを呼んで来るまで

必 要


どんなに辛くても
神を見上げて
静かに耐えてゆく
その信仰が私には
どうしても必要です
足らないのです
神よ あわれんで下さい

祈 り


ホロホロと涙がこぼれる
いろんなことがあった日の夕べ
一人座ればホロホロと
涙がこぼれる
お詫びや訴え
感謝や願い
不安や苦悩
一言も言葉にならず
涙となって
開いた私の
聖書の上にこぼれ落ちる

苦 悶


出口の見えない闇の中を
行きつ戻りつ
幾度うめいたことだろう
合わせた手に
力を加えたことだろう
ここから
いつぬけ出られるのだろう
それまでにあといく度
涙がこの頬を通るのだろう
神の光が見えるまでに

悲 愴


言葉にならない
声にもならない
涙にさえならない祈りが
あるのかも知れない

心が虚空を見つめるだけの
魂が奥の方でけいれんするだけの
そんな祈りが
あるのかも知れない

形容しがたい
深い霧の中に立って

言 葉


言葉を慎むことも
言葉をよく用いることも
神と人への愛だと思います

大きな喜び


罪ゆるされた幸いは
したたるような喜びだ
透き通るような輝きだ
深い深い充足だ
この上もこの他もない
大きな大きな喜びだ

今を生きる


今を生きる
ここで生きる
昨日を背負わず
明日をのぞき見ず
与えられた今を
ただひたすらに
みことばを
握りしめて
しっかりと生きる

生かされて


生きることがすばらしいのは
生かされているからだ

もし人が
自分の力だけで生きるなら
きっと疲れ果てて
生きることが
つらくなるだろう

生きることがすばらしいのは
私たちに
価値と力を与えた造り主に
生かされているからだ

触れる


触れられるのは少しだけ
人の心に人の愛に
そうして人はいつも淋しく

触れていいのだ十分に
神の愛に神の胸に
そうして人は満たされる

恵 み


主よ
今日の恵みを感謝します
私が恵みと思ったことも
そうは思わなかったことも
今日のすべてが
あなたの恵みであったと信じて
感謝します

語 る


主の愛を語ろう
素晴らしい主の愛を
語り告げよう
自分のことばかり
他人のことばかり語っていて
主の愛を語る時を
なくしてしまったまま
私たちの一生が
終わることのないように

雨降る朝に


しとしとと雨降る朝に
人の世の
悲しきことが目に浮かび
心ひそかに濡れる時
神の恵みをふりかえり
賛美の歌を口にすれば
心はしだいに晴れて来る

天にあるものを


悲しみが私を
主のそば近くへと足を運ばせ
天にあるものの素晴らしさを
深く味わう恵みを
与えてくれました

悲痛に満ちた世にあっても
私たちは天に触れる幸いを知り
主の慰めを豊かに受けていますから
どんな時にも
しっかり歩いてゆけるのです

神の目


人の世では
成功はねたまれ
失敗はくさされる

しかし神は
成功を喜んで下さり
失敗をゆるして下さる

神が愛の目で
すべてを見て下さるからだ
どんな時にも
神の目を見て休らおう

祈りの中で


棘だらけの壁が
祈りの中で
愛の扉に変わっていく

苦くてならない杯が
祈りの中で
主の愛のあふれる
美味なものに変わっていく

祈り祈る祈りの中で
すべてが
よいものに変わっていく

思 案


「どうしたらいいだろうか」と
つぶやいたら
通りかかった秋の風が
「祈ってみたら」って
小さな声で教えてくれました

聖書を読む幸い


主よ
あなたのみことばを
愛と真理に満ちた
生命のみことばを
読むことができることを
感謝します

この美しい幸いを
こんな罪人に
こんな小さな者に
与えて下さって感謝します

信仰に生きる


神を信じる信仰はすばらしいものだ
しかし
「信仰」「信仰」と言って現実を軽視したり
人間社会のあり方や
知性の判断を無視するようで
あってはならない

―聖書もそれを教えている―

霊的な事は最重要だが
人の世の常識や人間の心理を
考慮することを忘れてはならない
自他共の人間の弱さや罪深さの認識を
怠ってはならない
信仰者は
その姿勢は天にむけられてはいるが
地にいる間は
きわめて現実的な努力と思慮と
選択と苦闘を続けなければならない

真の信仰とは
人間として
実に人間としての喜怒哀楽を
まともに味わう中に息づいて
光となり
いっさいを照らすのだ

人の世


愛し合えないみじめさが
ゆるし合えないみにくさが
高め合えないおろかさが
至る所にある世界
こんな悲劇がくりかえされる
人の世で
誰が悩まずおられよう
誰が嘆かずおられよう
愛の神に
愛するために造られたはずの
人間同士が・・・

何とひどい人の世よ
何と悲しい人の世よ

思い煩い


心が散らばる

いろんなことを
あれこれ考えては
心が果てしなく
散らばっていく

それを何とかしようと
一人もがいては
疲れ果てる
微かな風にも散らばる
小さな心を
私はもう
支え切れなくなる

とにかく腰をおろして
神に祈ろう
聖書を開いて
助けを得よう

これまでも
その度毎に
確かな平安を得て来たことを
覚えて
そうしてみよう

心と言葉


心なんて
やっかいなものが
なかったら
こんなに苦しむことも
ないだろうに

言葉なんて
扱いにくいものが
なかったら
互いに誤解したり
傷つけ合うことも
ないだろうに

でも
心も言葉もないというのは
人ではないということだ

神は人に
心と言葉を与えられた
両方とも大切なもの

お互い
心と言葉の使い方に
気をつけ
自分のためにも
他のためにも
それを大切に扱おう

知 る


身を低くするほどに
神の高さを知り
心を貧しくするほどに
神の豊かさを知る
自分の弱さを知るほどに
神の力が自分の内に
強く働くことを知る

愛のために


自分の悩みを払いのけて
自分の心を力づけよう
この日も人を愛するために

神よ私に
愛の手を貸してください
この小さな者が
精いっぱいの愛に生きて
誰かを生かせるように
誰かを暖めることができるように


信じなくては生きられない
従わないでは進めない
この険しい人生の道を
どうして自分の足だけで
まっすぐに歩めましょう

逃げるか
破れるか
ごまかすか
主イエスよ
あなたにすがって前進
さらに前進

あわれみ受けて


神さまのあわれみ受けて
この日まで
進んで来れた私たちは
これからも
いずこまでも
ただあわれみによって
主の道を歩み行けると
信じます

感 謝


主よ感謝します
与えられた喜びも悲しみも
主よすべてを感謝します

主にある人生の道々では
いつも必ず良いものが
見つかりますから
私を生かすものが

私の信じる神は
深い深い愛の主で
信じる者のために必ず
すべてを益にして下さいますから
どんな大きなマイナスをも
まちがいなくきっと・・・

不思議な幸い


真の神を信じて生きる者の
幸いを
どのように語りましょうか

何が無くたって心が満たされる
この平安と喜びと希望を

何があっても必ず大丈夫になって
生きてゆける
この不思議な幸いを

うまく言えないけど
信じていて
ほんとうに良かったなあと
いつも思います

弱い私は
信仰がなかったら今まで
こんなふうに幸いな気持ちで
生きて来れなかったと思います

病 床


それ以外何もできない
苦痛に耐えている他
体を休めている他は
やるべきことが山とあるのに
それを思って心はあせる

しかし停止信号を
無視して進むのは
危険だ
祈りながら
静かに待とう
シグナルが変わるまで

み手の中で


雨降れば
雨降る模様に 主を思い

風吹けば
風吹く音に み声聞く

陽が照れば
陽の輝きに 心満ちる

主のみ手にある
わが小さき歩みの幸いよ

不可知


この世には
解らないことが沢山ある
しかし神は
私たちが知らなければならないことは
知らせてくださる
考えても探っても解らないことは
私たちの領域ではなく
神の領域だ
そのことに同意しなければ
私たちは
真実を追及するあまり
破壊的になってしまったり
人としての実りある生き方や
生かされている喜びを味わう人生を
無くしてしまうかも
知れないのです

人 生


「やむをえない現実」として
そのまま受けとめるしかない
幾つかの事柄を思って
フーッと肩を落とす

自分の思いに余る
難題に見舞われながら
私たちは生きている
しかしそれでもなお一人一人の人生は
やむを得ない現実ではない

神から与えられた
かけがえのない必然の現実だ
だから足元だけでなく
上を見上げ
一日一日を大切に生きてゆこう

はげまし


一度や二度のつまずきが何でしょう
三度や四度の失敗が何でしょう
五度や六度の行き詰まりが何でしょう
十度でも百度でも
神は私たちの弱さをご存知です

憩いましょう大いなる御手に
感謝しましょう豊かなゆるしに
安心して歩き続けましょう
神に与えられた良い道を


望みはないよと
サタンはいう
ごらんの通りとなおもいう
確かにそうだと私はうなずく
やはりだめかとなお思う

望みを持てと聖書はいう
神は在ますとなおもいう
信じて祈れとさらに励ます
そうしてみますとうなずけば
弱った私の心にも
希望は再びよみがえる

信仰の灯


やっぱり私は信じよう
たとい祈りは聞かれなくても
祈れば祈るほど
かえって事態は悪くなるように見えても
神のみ手は全く見えなくても
それでも私は信じよう

信じても祈ってもだめだと
信仰の灯を消したとたん
魂に襲いかかった
闇の力に身震いした
ああ その底知れない暗さよ

とにかく神を信じよう
闇の中には立ち得ても
心の闇には耐えられない
神のみ手が見えない時でも
信仰の灯を手にしていれば
神のみ顔は見えていて
闇は心に入って来ない
だから私は信じよう
どんな時にも
やっぱり神を信じよう

主を知ることが


主を知ることが嬉しくて
つらい事はいっぱいですが
乏しい事や困った事も
やっぱりいくつもありますが
主を知る事が嬉しくて
嬉しくてならないのです

動 機


動機のきよさにこだわろう
クリスチャンのするすべてのことに
目に見える結果や人の評価よりも
動機のきよさにこだわろう
クリスチャンは世とは違って
神の前に生きるのだから

人の心


人の心は揺れ動く
右に左に揺れ動く
人の言葉に揺れ動き
世のさまをみてまた動く

神のことばを
知らないなら
心は絶えず思い乱れ
確かな歩みはできなくなる

失 敗


人は失敗する
みじめに失敗する
しかし主は
拠り頼む者のために
それをプラスにしてくださる
成長につなげてくださる

未 熟


耐えることが
つぶやきなしにできるなら
ゆるすことが
戦いなしにできるなら
愛することが
ためらいなしにできるなら
悪に負けない強い善を
この手にしっかり握りしめておけるなら
深く心に願いつつ
力を入れる足もとに
涙が手からずり落ちる

仰天の愛


計り知れない広大な天と
天の万象を造られた
万軍の主なる神が
こんな小さな罪人のために
生命まで捨てたなんて!・・・

そんなとてつもない愛で
私が愛されていることが
事実だなんて!・・・

こんな大きな愛を知った事を
どうして黙っていられましょう

きよめ


特に悪をなさなくても
人の世を歩くだけで
内側まで埃にまみれ
よごれてしまう私たち
洗わずにいたら
どうなることでしょう

主よあなたの血潮で
日々私たちを洗いきよめて下さい
せっせと自分の魂を洗うために
励む者となして下さい
毎日衣服を洗うようにして
自分の内側を洗っていく者にして下さい

悲しみは


悲しみは人に開ければ
時として腐敗する

悲しみは神に開ければ
いつも必ず浄化する


「光あれ」と
神は闇の中で叫ばれた
すると光は現われた

〃光は闇の中に輝いている〃

私たちの心と人生の闇の中にも
神が「光あれ」と言われると
光は現われ
闇を追い出す

神を信じる者は
闇の世にあっても
光の中に生きることができる

魂の帰還


帰りたい
家に帰りたいって
あなたの魂は叫んでいませんか
ほんとうの家は神の胸です
神は四六時中あなたを待っています
帰って来て下さい
あなたの家に
神の愛の胸に

姿 勢


神を知っている者にとって
大切なのは
何をしたかよりも
どう生きたかです
それも
人の前にではなく
神の前にです

世に生きる


少しの油断で
闇に踏みこまれるような世に
私たちは生きている

聖書に親しんでいないと
祈っていないと
注意していないと
簡単に闇に捕まってしまう

心して
励んで
神さまの近くにいよう

非は非


弁解はいくらでもあるが
やっぱり非は非だ
黙して悔い改めよう

静思の時


静かな心が必要です
静かな時が必要です
テレビ ラジオのスイッチを切り
人の言葉から離れ
雑用を後まわしにして
ただ一人
静かに神と交わる時を
持たなければ
いつも努力して
これを持たなければ
私たちの信仰は
決して成長しないでしょう

解 決


人生の解決は
正確な解釈ではない
すぐれた解説でもない
(頭脳の解決は
 私の日々に力を与えない)

人生の解決は
「神を見出すことだ」
聖書が語る
信仰と希望と愛を
自分のものにすることだ

神に頼って
これを失わずに
日々を生きてゆくことだ

福 音


固まってしまった宗教に
生命の温かさはなく
愛の光はない

観念的宗教の固さ醜さ
冷たさ恐ろしさ
時々その鎖をふりまわして
人をひどく傷めつける

聖書の福音は
単なる宗教ではなく
生命の温かさに満ちた
救いと愛の道だ

人はそれを曲げたり縮めたり
延ばしたり固めたりして
いびつなものにしてしまったりするが
しかし
聖書のほんとうの教えは
尽きない愛と希望を与えて
人を生かし続ける
神の救いと力の実証だ

生きること


難しいなあ
あのこと このこと

難しいなあ 人の世

難しいなあ 自分

それを神に任せて生きてゆく
つぶれることなく生きてゆく

救 い


どこからともなく押し寄せる
虚無感にさいなまれ
身を切り裂くほどの虚しさに
襲われて
渇きに渇いていた私の魂を
癒してくれたものは
イエス・キリストを信じる信仰です

他にはなかったのです
二度とあの虚しさに返りたくないから
私は信仰を捨てたくないのです

聖 書


汚いものを
きれいに見せるのは
人間がよくすることです

汚いものを
きたないまんまに見せるのが
聖書です

だから人はたいてい
聖書を敬遠します
でもよく読んでみれば
聖書には
汚いものをきれいにする力がある
ことがわかります

本当に美しいものが見えてきます

極端でなく


右が大事と言えば
一気に右の端まで行ってしまい

左がいいと言えば
いつの間にか左の端だけ歩いてしまう

これはいけないから真ん中を・・・と言うと
右も左も全く寄せ付けなかったり
真中に座り込んで
ぶらぶらするだけになってしまったり

人間は何事もこんな具合に
なりがちだ
どうしたらバランスの取れた
確かな歩み方ができるだろうか
特に信仰の事柄において
それをしっかり考える必要があると思う

掘り出す毎に輝きを増す
無限の真理である神の言を
一塊の観念の中に閉じこめて
凡常なものにしないように注意しながら

光と闇 真と偽 聖と俗 大と小を切り分ける
シャープな洞察力を堅持できるように励み
神を第一とした地上での歩みを
大切にしなくてはならないと思う

良い決心


痛めつけられて
苦しくなって
「自己憐憫」の卑しい涙を
かなり流してしまったから
青い空の前で赤面することになった

それでもう
止めることにした

神さまが
「万事を益にする」と
言われたから
それをただ喜ぶことにした

信仰も意志も弱い私にしては
良い決心ができたと思う

弱 点


真っ直ぐに吹きつける強風には
はむかうために
私は私を離れて胸をはる

姿を隠して
斜め向きに吹いて来る風には
弱風と思って油断したことで
私は私に捕らわれてしまう
その風の底知れない闇力に
まきつけられて
いつまでも自分の弱点に
閉じこもってしまう

自由のみ霊よ
あなたに寄りすがって
私が私から解放されるように
助けてください

主の名を


あんまり辛いと
祈れなくなる
みことばが握れなくなる

そうしてもっと辛くなり
みじめになり
弱くなって

崖に近くなる

魂よ下は谷だ
早く叫ぶのだ
イエスさま
イエスさま
イエスさま助けて下さいと

必ず助けて下さる主の名を
呼ぶのだ

財 宝


神は人間のために
自分の生命まで与えられた

これほどの神の愛を
信じないのは
莫大な財宝を
みすみす捨てているようなもので
実にもったいないことだ

これが自分のものになったら
世界中の宝物を手にしたよりも
幸福になれるのに

神の愛を信じないことは
この上ない損失だ
実に不幸なことだ

神からのものには


この世の宝には常に
危険と虚無と哀愁の
砂が混じっている
だから多く手にするほど
不安と重荷と苦痛を増す

神からのものには
目立たなくても
透き通った光と
喜びと平安が輝いている

これを手にして生きる者は
幸いだ
世界を手にする者よりも
幸いだ

青空の下で


輝く太陽のもとで
澄きとおるような青空の下で
自分の悩みに沈みこむ
弱くて暗い自分の心を
恥じる
造り主に
深く恥じる


嵐のあとの青空が
私の心に広がるために
その喜びを知るために
神はわたしに嵐をくれた

真 理


神が主権者だということ
全知全能の絶対者だということを
信じたら
人の心から暗い疑問は消えてゆく

この神が
自分を愛してくれていると
信じる人の人生からは
決して希望は消えてゆかない

困 難


苦しい坂を登るごとに
空が広く見えてくる
つらいことを経験する度に
また少し
神さまのみ顔が
近くに見えてくる

人の愛・神の愛


あゝなんともろい人の愛よ
たった一言で
ほんの僅かなことで
たちまち崩れてしまう
人の愛のはかなさよ
これを見る人生のわびしさよ
空しさよ

これだけしか
こんなもろい愛だけしか知らなければ
私は悲しみ嘆いて
自分の人生を捨てていただろう

あゝ神の愛の偉大さよ
その無限の深さよ 確かさよ
この愛を知って生きる
我が身の幸よ 喜びよ

足りなさに


わが心の足りなさに
神への思いの足りなさに
人への愛の足りなさに
思慮 忍耐の足りなさに
深く恥じ入りうなだれる
なのになお
受ける恵みの豊かさに
涙流して主に謝する

なぜですか


なぜですか聖なる主よ
こんなに罪深い私のために
お命までも捨てられたのは

なぜですか聖なる主よ
背いてばかりいる私を
見捨てることもなさらないのは

なぜですか聖なる主よ
取るにたらないこんな者を
宝のように守られるのは

感謝する


どこにもなかった解決を
探し求めた確かな道を
与えてくれた神さまに

つぶやくような祈りをも
迷いやすい歩みをも
しりぞけられない神さまに

人に言えない悲しみも
どんな痛みも大きな傷も
癒してくださる神さまに
深く深く感謝する

神が共に


神が
私と共におられる!
万物の支配者が
この小さな者と
共にいてくださる

あゝこの感動に満ちた人生!
色あせることのない人生!

恵み深い神よ
私の救い主よ

青い空


空が青い
それだけで
幸福を感じる日

平凡でも
この上ない喜ばしい日

仕事が楽しい
食べ物がおいしい

神よ
あなたの恵みは
すばらしい

小 事


たいていの場合
人の幸 不幸は
そんなに大きいことに関わっていない

周囲の人のほんのわずかな言葉や
態度に関わっている
小さな歩みに神の愛を注いでいこう


心の痛む時は
人の痛みを知っている人に
会いたいと思います
優しい声がほしいと思います

神さまの愛は十分ですが
心の痛みをいやすのは
神さまのお力ですが
でも地上に生きている私たちは
やっぱり人の心もほしいのです
神さまはその事を知っておられて
人を与えてくださるのです

望 む


互いに笑顔で語らう時も
人の必要が限りなく多い時も
人ではなく神よあなたが
主として覚えられますように

御名を知る者の集いの中に
主を畏怖おそれる思いが
いつも漂っているような
主にある交わりでありますように

共 に


主の十字架を握りしめて
心にふつふつと燃えるものを持って
まっすぐにものを見
まっすぐに生きている人と
共に祈り
共に賛美がしたいです

宝 石


悲しみの涙が
祈りの場所で
主の愛の手に落とされると
その手の中で
喜びに変わって
キラキラ輝き出すのを
知っていますか

その宝石は
順境や平穏の中ではなく
底深い悲しみの中で
輝くことを知っていますか

誰かが


心が痛くてたまらない
心が寒くてやり切れない
どうか助けて!って
秘かにうめいている人が
今日私のそばにいるかも知れない

私の住んでいるこの街に
この道を歩いている人の中に
この店で買い物をしている人々の中に

外側は
そんな人はいないように
見えるけれども
ほんとうに一人もいないだろうか
(私は時々その一人)

もしいたら
助けてあげたい
私に力はないけれども
神さまの愛を知らせてあげたい

知らせたい


悲しみの人で
病を知られたイエスさまが
ありとあらゆる苦しみを
なめつくされたイエスさまが
あなたを愛しておられると
悲しみの中にある人に
私はぜひとも知らせたい

イエスさまの愛を知ったら
どんな深い悲しみをも
のりこえて
きっと生きてゆけると
信じているので
何としてでもそれを
あなたに知らせたい

神を知ってください


神を知って下さい
きっと心が満たされますから
この世のものでは決して
埋めることができない
心の空白を
天の恵みが
埋めてくれますから
求める者に
信じる者に

神を知って下さい
大切なあなたの心と人生に
ほんとうの光を入れて下さい
神の光の中を歩む喜びを
この世のものでは得られない
この上ない幸いを知って下さい

神を知らずに
光に背を向けて
どんなに多くの物を持っていても
ただ重荷と苦痛を増すだけなのですから

友 へ


大丈夫です
友よ大丈夫です
きっと大丈夫になります

イエス・キリストを信じる人生に
絶望は絶対にないですから

幾度となく絶望の淵に立って
そこから救い出されてきた者が
言っているのです
信じてください

本気でイエスさまを信じて
祈れば
それが事実だとわかりますから

幸 せ


ステキな発見をした友よ
人から愛されるよりも
人を愛する方が幸せなのだと
聖書を読んでうなずいた友よ

自分が神に愛されている事を
知って
その愛を少しずつ味わいながら
愛する事の幸せが解った友よ

あなたの顔はどんどん明るく
なっていく

The Holy Bible


神さまの愛が
尽きない愛の宝石が
聖書にいっぱいあふれています
それを見つけていく幸いは
他のものには比べられません
聖書! The Holy Bible!
信じる者にとって
これ以上のものは
他にありません

感 動


創世記から黙示録まで
聖書を残らず書き写した
友人の母君
ていねいな美しい文字で
何冊も何冊ものノートに

聖書は一つのことばでも
魂の底まで
満ちあふれるものを持っているのに
聖書を一文字一文字丹精こめて書き写した
その数年の日々
その魂はどれだけ
天のもので満たされたことでしょう!

長年仏教徒だったその方は
晩年イエス・キリストを信じて
天に召されるまでの間
毎日毎日みことばを書き写して
隠れた真の幸いを味わいながら
遂に聖書のすべてを
自分のノートに書き写し終えた!

それから天使たちに招かれて
みことばの光の中を
しずしずと天に昇って行かれた
愛する主が
両手を広げて待っておられた
永遠の都へ

この世のどんな宝にも勝る
「母の形見」のそのノート四十四冊!
使って中が白くなったペンが百五十五本!
今は
アメリカに住む娘さんの手元にある

「先に行って待っててあげるね」と
楽しい国への旅支度をしながら
語った遺言のぬくもりと共に!

(この方はデュア万喜子さんのお母様です)

イエスさま


愛に満ちたイエスさま
あなたの愛を知っているので
私のような小さな者でも
恐れないで生きてゆけます

死を打ち破られたイエスさま
あなたの力を知っているので
私のような弱い者でも
勇気を出して生きてゆけます

贖い主のイエスさま
あなたの赦しを知っているので
私のような罪深い者でも
沈むことなく生きてゆけます

恵み深いイエスさま
あなたの真実を知っているので
不確かな世にあっても
迷うことなく生きてゆけます

あとがき


 この詩集の発行にあたり、アメリカや日本の多くの方々から励ましとご協力をいただきましたことを感謝いたします。特に、新井雅之氏(詩人、文学博士―ロサンゼルス)、レイクのり子さん(書道家―サンホゼ)、デュア万喜子さん(友人―サンホゼ)、大塚節子さん(友人―東京)、佐藤真千子さん(友人―ロスガトス)、スミス芳江さん(友人―ボニタ)、山内修一氏(音楽家―ロサンゼルス)、また今野恭治(兄弟)と中尾邦三(夫)に感謝します。

 他にも、この詩集を心待ちにして、励ましてくださったサンディエゴ、サンタクララ、その他の州の友人、知人の方々に深く感謝いたします。

 お読みいただいてのご感想などを、私のウェブ・サイト(www.penguinclub.net/mrsnakao)にお寄せいただければ幸いです。

  二〇〇六年一月
  カリフォルニア州にて

        中 尾 照 代