USA Diary

October, 2011

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10月1日(土)今、キンドルで読んでいるのは、"If Protestantism Is True" という本です。この中に Alister McGrath の "Christianity's Dangerous Idea: The Protestant Revolution--A History from the Sixteenth Century to the Twenty-First" からの引用が数多くあったので、Christianity's Dangerous Idea も読んでみたくなりました。今月末は「宗教改革記念日」ですが、プロテスタント宗教改革をどう評価するかは、私の課題になっています。
10月2日(日)James R. Payton の "Getting the Reformation Wrong: Correcting Some Misunderstandings" によると、今日の「宗教改革とはこのようなものだった」という 評価の中には誤解に基づいたものもあるというのです。もし、そうなら、今日のプロテスタント教会は誤解に基づいて行き過ぎたり、大切なものを見失ったりしていないかと反省させられます。私は、16世紀の宗教改革だけが唯一の教会改革ではないと見ています。また、改革(Reformation)が「改変」(Deformation)になってはいけないとも考えています。また、「改革」の名のもとにセクト的になってはいけない、公同の教会にしっかりつながっていたいと願っています。
10月3日(月)例年よりうんと早く雨が降りました。おかげでヤードの水を節約できました。今年の夏、スプリンクラーの時間設定を変えたとき、二重に水が出てしまった期間があって、ずいぶん高額の水道料金を払ったので、ここで取り返せるのはうれしいです。
10月4日(火)朝は車に霜が降りるようになりました。車のサイドミラーとサイドの窓を小さなゴムべらできれいにしてから出かけました。もう冷房をしまって、暖房がちゃんと動くかどうか確かめなければなりません。
10月5日(水)ある人から「牧師先生方が大声で熱弁をふるうと、神様の声がかき消されてしまう、と思う信徒は私だけではなく、同時に牧師先生にエンターテイメント性を求めていない信徒もたくさんいます」というメールをもらいました。これを励ましのことばとしたいと思います。立派に、流暢に、また、おもしろおかしく語れても、神のことばが聴衆に聞こえないことがあるのでしょう。自分の弱さや欠けからであっても、そこからこぼれ出るみことばの光を見ていただければ良いのだと思っています。
10月6日(木)きょうも一日雨でした。キンドルで本を読み出してから、ちょっとした時間の合間に本を読むようになりました。きょうも、"Joyful Meditations for Every Day of Advent" と "Mindful Meditations for Every Day of Lent" の二冊を買い、目を通してみました。とても良い本でした。その場で、すぐに本を買えるのも便利ですが、本代の予算をちゃんと決めておかないと、後で困るようになるかもしれません。
10月7日(金)教会役員会のレポートを、今回は早目に書き込みました。役員会では教会の「ビジョン」が大きな課題となっていますので、レポートの最後に聖書的スピリッチャリティについて書き加えました。教会のビジョンを考えるとき、それがクリスチャンの霊性と関わりのないものになることを、私はたいへん恐れています。
10月8日(土)Renovare というキリスト者の霊性グループから "25 Books Every Christian Should Read"(キリスト者が読むべき25冊の本)という「本」が出ています。アタナシウス、アウグスティヌス、砂漠の教父、ベネディクトらの教父たちの著作、ダンテ、The Cloud of Unknowing、ノーウィチのジュリアン、トマス・ア・ケンピスなどの中世期の書物、東方教会の師父たちによる Philokalia、アビラのテレサや十字架のヨハネによる霊想の書などが古典の中からとりあげられていました。パスカルの『パンセ』や G.K.チェスタトン、C.S.ルイスの『キリスト教の精髄』といった弁証論的なものも入っています。推薦されているものにはカトリックのものが多いのですが、これらは、カトリック、プロテスタントを問わず、今日のすべてのキリスト者の信仰の土台になっているもので、カトリックのものだからといって斥けず、読むべきものと思います。私は、サンノゼに来てから、カトリックのセミナーによってやっとアビラのテレサや十字架のヨハネを学ぶようになりました。こうしたものを見逃していたことを今は悔やんでいます。プロテスタントの著作にはジョン・バンヤンの『天路歴程』、カルヴァンの『キリスト教綱要』、ウィリアム・ロウの著作などが挙げられていました。この25冊のことは次月の役員会レポートで紹介したいと思っています。
10月9日(日)礼拝後、新しく取り替えたドアの内側をペイントする作業がありました。朝、どんよりしていたので、「今日はペイントに大丈夫な日よりですか」とつい聞いてしいましたが、外に出てみると晴天でした。この礼拝堂はとても暗く、外が見えないようになっています。外が見えないほうが気が散らず、落ち着いて良いという人もいますが、私は自然の光が欲しいなと思います。ステンドグラスなら外が見えないわけですが、それでも光を感じることができますから。
10月10日(月)家内とふたりで、片道2時間かけて温泉に行ってきました。フリーウェー5ルート152からフリウェー5のロサンゼルス方面に乗り換えて、南に少し行ったところ、Shields/Little Panoche で降り、西に向かいました。牧場が両側に並ぶ道を進むと、 Mercy Hot Springs の看板があって、ポツンと温泉施設がありました。屋内のプライベート・バスなら12ドルということで、書類を書き、二人分のお金を払ってバス・ハウスに案内してもらいました。大きめのバスタブにお湯を張って、しばらくからだを温めました。お湯はアルカリ性でとてもきもちの良いものでした。施設は他に宿泊用のキャビンとプール、野外のバスタブ、モービル・パークがあるだけで、食事ができるところは近くにもありません。私たちはお弁当を持っていきましたので、キャンプテーブで食べてから帰りました。もっと近ければ、また来てみたいと思いましたが、遠いのが難点です。
10月11日(火)日本で働いていた教会で隣接した土地を手に入れ、そこを駐車場とし、さらに土地を購入して第二次会堂建設に取り組もうとしていることを知りました。人数の多い教会ではありませんが、地域に根ざし、伝道所を生み出し、今また次のステップに進もうとしています。とても感謝しています。
10月12日(水)この教会に、東日本大震災で被災し、避難しているクリスチャン家族が出席していて、教会が何かとサポートしているとのことも知りました。キリスト者のまじわりのうるわしさを感じることができ、うれしく思いました。
10月13日(木)日本の被災地で配布するパンフレットの見本を送っていただいたので、宣教委員会で紹介しました。どれも綺麗で読みやすくできていました。これを通して人々の心にキリストの福音が届けられることを願いました。
10月14日(金)「いずみ会」という集まりで「エバ」について話しました。「聖書の女性たち」というシリーズで毎月話すのですが、きょうは、長く話しすぎたので、次回は時計を前に置いて、短く話すようにしたいと思っています。
10月15日(土)あすは敬老礼拝ですが、とくに高齢者向けのメッセージを用意しませんでした。10月いっぱいでコロサイ人への手紙からのメッセージを終えることにしていますので、あすもコロサイ人への手紙からのメッセージになります。ただ、テーマが「祈り」なので、高齢の方々には、年齢を重ねても、いや、年齢を重ねたからこそできる祈りの奉仕に励んでいただけたらと願い、メッセージを準備しました。
10月16日(日)きょうは敬老礼拝でしたが、最高齢の方は、昨日、お孫さんの結婚式があり、疲れてこれませんでした。他にも退院して静養中の方や、日本に旅行に行っている方もいて、敬老の日に祝われる人たちが少ない、今年の敬老礼拝となりました。
10月17日(月)近くに新しくできた Goodwill Store に行ってきました。どれも中古品で安いのですが、さらに開店記念の割引券があり、必要なものを安く買うことができました。不況で節約志向の人が多くなったせいでしょうか、けっこう多ぜいのお客さんが入っていました。
10月18日(火)が使っているコンピューター OS の新しいバージョンが出たので、それをコンピューターに入れ、いろいろ調整しました。かつては複雑な手作業が必要だったのですが、今は、とても簡単になりました。でも、自分にベストな状態にするには、いくつかの作業が必要でした。
10月19日(水)私の OS は Linux で Xubuntu というディストリビューションです。派手な装飾のないデスクトップデザインが気に入っており、多くの Ubuntu ユーザからのサポートが受けられるのはとても助かります。私も Linux のページにユーザの備忘録を書いています。もっぱら自分のために書き残しているのですが、誰かの役に経てばそれも幸いです。
10月20日(木)教会のシニア・グループで、「沖縄―最後の絆」のモデルとなった東フランクさんのお話がありました。用意したインタビュー DVD がコンピューターでは再生できず、礼拝堂の大きなスクリーンでなく、テレビで観ることになったのは残念でした。
10月21日(金)ブログで「人々はなぜ教会を去るのか」という記事を読みました。筆者の Greg Surratt は、「誤解」、「躓き」、「飽き」、「御心」の四つを理由としてあげています。「誤解」というのは自分がかって属していた教会と同じものを期待する、新しく赴任した牧師に今までの牧師と同じものを期待するなどのことだそうです。「間違った期待」と言ったら良いかもしれません。「躓き」の多くは、自分が認められなかった、重んじられなかったと感じることから来るそうです。なんだか自己中心的な臭いを感じてしまいます。「飽き」というのは良くあることで、年月が経って今までのように新鮮さを感じられなくなることを言います。そのため、次々と目新しいことをする教会がありますが、それではかえって人々に「飽き」を経験させるだけでしょう。「御心」というのは、人々が使命を感じ、神の導きによって新しい場所に行くなどのことで、これはいたしかたないことで、むしろ、祝福して送り出してあげるのが良いでしょう。人が教会から去るとき、牧師たちは心を痛めます。それによって深く傷つき、牧会から去る人もあります。筆者は、人がどんな理由であれ去ったとき、そこからも学ぶべきことを学びとり牧会に生かせたら、と提言していました。
10月22日(土)ダイニングのテーブルクロスと椅子のクッションを同じ図柄のものに合わせようとしたのですが、クッションが手に入らなかったので、家内は似た図柄のカバーを作って、なんとか合わせました。布地も安くはなかったようですが、経済的に、また綺麗にできあがって満足していました。
10月23日(日)バックヤードに出る大きなガラス・ドアの全面にヒビが入りました。危ないので、このドアは使わないようにしています。このドアをとりつけたコントラクターに電話を入れて、修理をお願いしておきました。
10月24日(月)コントラクターから返事が来ましたが、アウト・オブ・タウンということで、来週月曜日に見に来てくれることになりました。アメリカでは何事もゆっくりです。急いだり、あせったりできません。
10月25日(火)同僚の牧師たちは、それぞれサンクスギヴィングのときにハイスクールの卒業生や家族のリユニオンがあるので、牧師たち三人のフタッフ・ミーティングで互いのためにも祈りました。私だけがローカルに留まりますが、それもまた良いことかと思っています。
10月26日(水)ヒビの入ったガラス・ドアのガラスの破片がくずれ落ちました。幸い、このガラス・パネルは二重になっていて、割れたのは外側だけでした。内側のパネルがあるので、外気が入ってくることがありません。寒くなってきたので、両方が割れていたら大変な目にあったことでしょう。
10月27日(木)月に一度出ている祈り会が、簡単な夕食からはじめるので、早目に来ませんかと言われましたが、都合がつかないので、家で食事を済ませてから参加しました。きょうも良い祈りのときを持って帰ってきました。
10月28日(金)一週間が、そしてひと月があっという間に過ぎ、きょうはもう週末になり、月末になりました。教会の暦は11月末のアドベントからはじまりますので、教会暦の A年が終わるのかなという思いになっています。今年はコロサイ書からのメッセージが中心でしたが、B年には、主イエスの生涯をたどるメッセージのシリーズを計画しています。
10月29日(土)あすは宗教改革記念日ですので、ルターの「95か条の提題」について触れるつもりでした。きょう集会のあと立ち寄った先生から、ラテン語で書かれた「提題」の写しを頂きましたので、明日は早速それを見せたいと思います。私は、真の宗教改革はルターが聖書の学びから神の恵みを再発見した「塔の体験」にあると思っていますので、明日はそのことを話すつもりです。
10月30日(日)今まで郵送していたサンクスギヴィング・レターを礼拝後ピックアップしてもらうことになりましたが、きょう、ピックアップしていったのはほんのわずかでした。来週はこども祝福礼拝なので、来週もどれほどの人がピックアップしてくれるか心配です。
10月31日(月)ことしのハロウィーンには、去年よりもこどもの数は少なく、無事に終えました。時間が経つにつれてやって来るこどもの年齢が高くなります。ちいさいこどもはかわいいですが、高校生くらいになると、"Trick or treat" と言われると恐い感じを受けます。
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