USA Diary

September, 2011

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9月1日(木)オーシャンサイドにあるベネディクト派の修道院を訪ねました。修道院というと古風な建物を想像していたのですが、ここ、Prince of Peace Abbey は、ごく最近建てられたとても現代的な建物でした。チャペルの入り口には「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。」(イザヤ56:7)と書かれていました。ここは、リトリートセンターとして一般に開放されています。いつかここで、日本語の祈りのリトリートをもつことができたらと願いました。
9月2日(金)きょうは夜遅くまで親しい方々との語らいの時を持ちました。ホテルに帰ってみると消防車と救急車が来ていました。レイバーデーのウィークエンドで、ホテルのお客さんの数も増え、ずいぶん混雑していましたが、なんとか車を停めることができました。何があったのかわかりませんでしたが、無事を祈りました。
9月3日(土)帰りの道は、ロサンゼルスで混んでいた以外は順調でした。フリーウェー沿いのレストエリアは、閉鎖していたところもありましたが、工事中でも仮設のバスルームを用意してくれていたところもあり、助かりました。明るいうちに帰宅できました。
9月4日(日)近くの Holy Family 教会で礼拝を守りました。この教会も土曜日と日曜日に何回も礼拝をしているのですが、どの礼拝にも大勢の人々が来ます。神をあがめる人々がこうして多くつどうのを見るとほんとうにうれしくなります。来週の午後、9・11の10周年の祈り会があるとのアナウンスメントがありました。私のサバティカルは14日までですので、来週もこの教会に来ようと思っています。
9月5日(月)きのうの礼拝で "How Beautiful of the Body of Christ" をコミュニオン・ソングとして歌いました。これは、ホーリネス・ユース・クワイヤが良く歌う歌で、何度が聞いていましたので、親しみをもって歌うことができました。楽譜がないかとインターネットで調べてみました。有料のものは見つけましたが、無料のものは見つけることができませんでした。
9月6日(火)サバティカルもあと一週間で終わろうとしています。5月も8〜9月もそれぞれ有意義でしたが、予定したことはほとんどできず、ふだんできないでいたいたことを片付けるために時間を使ってしまいました。まとまった時間を使って一気になにかをするよりも、日常の繰り返しや制限の中でコツコツものごとを成し遂げていくのが、私の気質にあっているのかもしれません。
9月7日(水)私たちが南カリフォルニアに行っている間に手術された方がいて、日曜日に病院にお訪ねしたのですが、今日も訪問しました。一週間以上の入院はアメリカでは長いほうなので、個人的には心配しています。
9月8日(木)この11日はアメリカの同時多発テロから10年目、東日本大震災から半年目にあたります。アメリカでも日本でも式典がおこなわれることでしょうが、アメリカでの式典の無事と、日本での復興が進むことを心から願いました。
9月9日(金)サバティカルの途中ですが、金曜日の夕方の聖書クラスを持ちました。休みの人が多いと聞いていたのですが、予想より多くの参加者あり、良いスタートを切ることができました。
9月10日(土)ずいぶんひさしぶりに、以前行っていた地区のファーマーズ・マーケットに行きました。以前よりも野菜や果物の店が少なく、飾り物などの店が増えたように思いました。家内はオーガニックの野菜や果物が目当てでここに来るのですが、どれもとても高くなっていましたので、あまり多くは買わずに帰ってきました。
9月11日(日)Holy Family Church の朝8時の礼拝と午後の 9・11の祈り会に出ました。どちらも主任牧師がお話をしました。この方は、ベトナムから難民として最初はカナダに、それからアメリカに来られた方で、以前の教会で奉仕しておられたとき、昼食を共にして、個人的なことを伺ったことがあります。ご自分が厳しい状況を通ってこられただけあって、とてもきちんとした説教をされます。人々の耳には厳しく聞こえるかもしれませんし、ネイティブのイングリシュ・スピーカーではないので、歯切れの良い英語ではありませんが、内容はとてもすばらしく、すぐれた説教者と、尊敬しています。内容と表現の両方が素晴らしければいちばん良いのでしょうが、私は、表現より内容に重点を置きます。外見だけが重んじられ、中身が顧みられない時代に逆行しているようですが、クリスチャンの間では、もっと中身が大切にされるようになってほしいと、いつも願っています。
9月12日(月)きのうの 9・11の祈り会は、落ち着いた静かな祈りの時でしたが、同時に四人の女性によるダンスをとりいれたとてもクリエィティブなものでした。祈り会の最後には、ひとりびとりにキャンドルを持って、礼拝堂に大きな輪をつくり、平和のために祈り続けることを誓いあいました。そのとき渡されたカードにはこう書いてありました。「クリスチャンとして、またアメリカ人として、9月11日の10周年記念に私は、私の身近なところで、また世界に平和を築くため、また、憎しみや恐れに立ち向かうことによって、隣人を愛していくことを誓います。」
9月13日(火)北カリフォルニアの牧師会に出かけました。昼食は香港レストランに行きました。和風メニューもあり、注文しました。中華料理は分量が多く、ほとんどの人が食べきれずに残していました。和風メニューは中華にくらべて少なかったのですが、ご飯が多く、それは残してしまいました。味があっさりしていたのが良かったでした。
9月14日(水)きのう牧師会に出たことだし、きょうから教会に出ようかと思っていましたが、やりのこしていることがたくさんあって、きょうは一日、そのことのために時間を使いました。おかげでとても仕事がはかどりました。
9月15日(木)9月になると、どのお店もハロウィーンのものを売り出します。不況のため閉店になっている店がこの期間だけ「ハロウィーン・ストア」になることがあります。ハロウィーンは不況でも、盛んに祝われるようです。
9月16日(金)教会ではきのうから日本語会話教室が、きょうから英語会話教室が始まりました。「始まった」と言っても、ふたつのクラスは長年続いていて、それぞれに大勢の「生徒」さんが来ています。日本語に興味のある人は多いですし、予算カットで、コミュニティ・カレッジなどの ESL コースが閉鎖されていることが、人々が教会の「会話教室」に来る一因になっているのかもしれません。
9月17日(土)サバティカル中も、教会に寄って郵便や電話をチェックし、Eメールでに目を通してきましたので、教会の活動はフォローしてきたつもりですが、それでも、さまざまな所用がありました。いつもやり残していることが気がかりになりますので、これからはもう少し余裕をもって働きたいと願っています。
9月18日(日)教会で、サバティカルの後のひさしぶりの礼拝メッセージをしました。日本では30分の礼拝メッセージは決して長くはないのですが、30分を超えると、一時間の礼拝に収まらないので、私はいつも25分を目標にしていますが、きょうはどうしても25分に収まらず、30分になってしまいました。
9月19日(月)月曜夜は我が家のムービー・タイムです。きょうは、教会のメンバーの方の体験に基づいて作られたドキュメンタリー・ドラマ「最後の絆」を観ました。米軍兵士として、終戦間近い沖縄に来た兄が、少年兵となって負傷した弟を救うという物語です。アメリカ兵と日本の少年兵という壁を越えてふたりを結びつけたのは「家族」という「絆」だったというのが、このドラマのテーマでした。
9月20日(火)今年は涼しい夏でしたが、ここ数日は少し暑くなってきました。それでも、暑くて苦しいといったことはなく、我が家の柿の木も大きく実って来て、季節は確実に秋に向かっています。
9月21日(水)午前中の聖書クラスの開始時刻が以前のように10時30分となったため、その前に行われている祈り会のフォーマットを少し変えて、10時15分には終わるようにしました。集会の順序を変えるのに抵抗を感じる人もありますし、新しいことが定着するのには、時間がかかります。それで、しばらくは私が司会をすることにしました。また、ヘンリ・ナウエンの祈りを集めた本『主の憐れみを叫び求めて』(A Cry For Mercy)が手に入りましたので、そこからの祈りをひとつづつ紹介することにしました。
9月22日(木)『主の憐れみを叫び求めて』に収録された祈りは、決して、祈りのお手本にするために書き留められたものではなく、ひとりの信仰者の心の葛藤を素直に表現したものです。ナウエンはみずからのたましいの軌跡をあるがままに示すことによって、これを読む人を、同じ葛藤に招いているように思います。葛藤なしには平安に至ることはないからです。
9月23日(金)日曜日のメッセージを準備しながら、「教会は祈りの家なのですから、集会や奉仕が無くても教会に立ち寄って祈っていくということが、もっと奨励されても良いと思います」という一文を加えましたが、内心、このことがどこまで理解されるだろうかという心配もあります。私たちの礼拝堂はかならずしもそのようには作られてはいませんので、実行が難しいかとも思わないわけでもありません。しかし、制限があっても、そうしたことがなされていけば、新会堂を建てるときに、「祈りのチャペル」を作ろうという声もあがってくるかと思います。私が見た教会の多くに、祈りのチャペルが備えられていて、教会の祈りに向かう姿勢がよく表されていました。
9月24日(土)日本のクリスチャンから、「そちらの教会では地域とのつながりをどうやって保っていますか」という問い合わせがありました。アメリカの場合、地域とのつながりは日本よりも作りやすく、保ちやすいと思います。逆に、教会がコミュニティ・センターで終わってしまわないようにとの注意が必要かと思います。私が参加した9・11の祈り会のように、「祈り」という、教会に託された使命を前面に打ち出した集会で地域との接点を持っていくのはとても良いことと思っています。
9月25日(日)きょうは一日曇り空でした。カリフォルニアは日差しが強すぎるので、このような日のほうがかえって落ち着きます。空がいつもどんよりして、気がめいってしまうと言う人々が多い地域からみれば、とても贅沢な話ですが…。
9月26日(月)きょうのムービータイムは「水戸黄門」でした。長年続いた番組ですが、視聴率が下がり、このシリーズで終わるのだそうです。視聴率が下がっているのは、「水戸黄門」がワンパターンでスリリングなところがないのが原因かもしれませんが、すべてのテレビ番組がスリリングであったり、大騒ぎしたり、ケバケバしたものしなかったら、どうなるのでしょうか。こういうストーリーもまた貴重だろうと思います。
9月27日(火)きのう手術をした方の経過が良く無くて、きょう別の病院に搬送されました。日曜日に訪問したときには元気で、きょう退院の予定だと喜んでいただけにとても残念です。こんどこそ完全に良くなって退院できますようにと祈りました。
9月28日(水)ブックリーダーの新機種がアマゾンのウェブサイトに出ていました。今は、オーディオ機能やタッチ・パネル機能を省略した廉価版のものしか販売されていませんが、あと一ヶ月もすればタッチ・パネルのもの、また、カラーのタブレットなどが一挙に販売されるようになります。私が買ったときは、実際の選択肢としてはふたつしかありませんでしたので、どれがおすすめですかと言われれば迷いますが、キーボード操作をあまりしないで、もっぱら本を読むだけなら、廉価版でも十分だろうと思っています。
9月29日(木)私が買ったブックリーダーはアマゾンのキンドルで、3G ワイヤレスとキーボードが付いたものです。これを買った理由は、本箱が一杯になり、本の置き場がないためと、キンドル版の本が安く手に入ること、また、外出先でメールをチェックできることなどです。教会のメールシステムが GMail に変わったので、キンドルでも簡単にメールをチェックできるようになりました。
9月30日(金)キンドルがなくても、コンピュータを使えばキンドル版の本を読むうことができます。でも、キンドルだとからだを横にしても本を読むことができます。コンピュータの画面と違ってバックライトがないので、目が疲れません。キンドルで本を読み始めた最初のころはなかなか慣れませんでしたが、3ヶ月ほどして、違和感なく本が読めるようになりました。
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