USA Diary

August, 2011

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8月1日(月)8月になると、ヒロシマ、ナガサキのことを思います。それで、永井 隆の『この子を残して』を、「青空文庫」からダウンロードし、キンドルにとりこんで読みました。やがて孤児になるであろうわが子への思いを綴った文は、神への純粋な信仰と社会の問題への深い洞察に満ちていました。この本に出てくる永井さんの次女、カヤノさんは結婚し筒井茅乃となり、『娘よ、これが長崎です』という本を書いています。これも読んでみたいと思いましたが、残念ながらキンドルで読むことができるデータはありませんでした。
8月2日(火)アメリカがきょうまでに法律で定めた債務の上限をひきあげることができなかったら、債務不履行になってしまうのですが、最終的にはそれは回避されました。しかし、そのため予算カットがなされ、不景気に拍車がかかるかもしれません。世界の国々が借金まみれで首が回らなくなっているようですが、では、いったいどの国が金持ちで他の国に金を貸しているのでしょうか。聖書に「あなたの神、主は、あなたに約束されたようにあなたを祝福されるから、あなたは多くの国々に貸すが、あなたが借りることはない。またあなたは多くの国々を支配するが、彼らがあなたを支配することはない」(申命記15:6)との約束があります。この約束を見ることができるさいわいな国はいったいどこの国なのでしょうか。
8月3日(水)広島と長崎に原爆が投下されたのは、6日と9日でした。今度の日曜日は、洗礼式があるため、礼拝の式次第から「とりなしの祈り」が省かれますので、きょうの祈り会でそのことを覚えて祈れば良かったと、後になって思いました。
8月4日(木)「ナガサキの日」を前にして永井 隆博士のことを思っていたとき、「長崎の鐘」という歌を思い起こしました。それで YouTube でいろんな人の「長崎の鐘」を聞き比べてみましたが、私には、藤山一郎が歌っているものが一番良かったように思いました。次に良かったのが、フォレスタという混声合唱のグループのコーラスでした。フォレスタというのは、日本の歌を歌っているグループで、はじめてその存在を知りました。「こころの歌」という番組で歌っているそうなので、今度、日本のレンタル・ビデオ・ショップから DVD を借りてきて、他の歌も聞いてみたいと思いました。
8月5日(金)今週は、たくさんのことをしておかなくてはならなかったのですが、きょうは、思いの他、仕事がはかどりました。私は、以前は、仕事にとりかかるのが早く、たくさんのことをこなすことができたのですが、このごろは、とりかかるまで時間がかかるようになりました。何ごとでも、やりはじめてみると、思ったより簡単に進んでいくものです。おっくうがらないでやりはじめるよう、自分を励ましています。
8月6日(土)グーグルマップで広島の原爆ドームの内部が見られるようになっていました。原爆投下から66年、ヒロシマやナガサキが忘れられることが無いよう、インターネットの世界でも、ヒロシマ・アーカイブやナガサキ・アーカイブなどがセットアップされています。
8月7日(日)きょうは、長年バプテスマを待っていた人のバプテスマ式がありました。よろこびもひとしおと思います。バプテスマを受けたいと思いながら事情の許されない人もあるのですから、バプテスマを勧められたら、それから逃げないほうがいいと思います。バプテスマは恵みなのですから。
8月8日(月)メンバーのお姉様が亡くなられたとの連絡を受けました。それで、急遽メモリアルサービスの準備をすることになりました。じつは明日、結婚式のリハーサルもあり、その準備もしなければならなかったので、かなり忙しい思いをしましたが、どちらも大切なことなので、神様の助けをいただきながら進めました。
8月9日(火)いつも礼拝に見えている人の息子さんのために木曜日の朝、結婚式をすることになっています。急に頼まれたことなのですが、さいわいなことに、メンバーにフローリストがいて、彼女がいろいろと助けてくれました。花嫁も花婿もクリスチャンではありませんので、これを機に、神様を求めてほしいと願っています。
8月10日(水)きょうの夕刻、お葬式をしました。葬儀社に安置されたご遺体とおわかれしたあと、そのチャペルでメモリアルサービスをしました。近親者だけの小さなお葬式で、温かい時を過ごしました。私は、夜の祈り会があるので、その後のレセプションは失礼しました。
8月11日(木)きのうはお葬式でしたが、きょうは結婚式でした。私たちの礼拝堂はなんの飾りもないので、結婚式には向かないのですが、キャンドルとお花で飾りましたら、すこしは結婚式にふさわしくなりました。この結婚式は家族だけの小さな結婚式で、温かい雰囲気で進めることができました。どんな儀式や集会でも、百人を超えるとどうしても組織的になり、パーソナルタッチが失われがちです。私は、個人的には小さな儀式や集会のほうが好きです。
8月12日(金)水曜日にお葬式をした方の納骨式に行きました。天国の賛美を歌い、聖書を読み、主の祈りでしめくくりました。聖書は、私が日本語で、家内が日本語で読みました。日系の方々のための葬儀を今まで数多くしてきましたが、日本語の分かる方がだんだん少なくなり、どうしても、英語だけで行うことが多くなりました。それでも、ところどころに日本語が入ったほうが良いと思い、家内にも賛美を日本語で歌ってもらいました。
8月13日(土)ベドウ路得子さんは、日本で巡回伝道をしておられる福沢満雄先生のお嬢様で、ミネソタ出身のマーク・ベドウさんと結婚していて、年に一度はミネソタに来られます。それで今回、日本への帰りに、私たちの教会に寄っていただくことになりました。きょうは、リハーサルで音響装置やプロジェクターがうまく動くかどうか確認しました。サウンド係の人も、ミキサーの今まで使わなかった機能を、マークさんから習うことができました。
8月14日(日)きょうの礼拝は路得子さんとマークさんに導いていただきました。子どもたちも一緒の礼拝で、昨年から今年にかけて、こうしたファミリー礼拝を何度が行ってきて、少し定着したかのように思います。「定着」が「マンネリ」にならないようという工夫はこれからも必要でしょう。
8月15日(月)きょうは終戦記念日。日本では8月13日の夜9時、フジテレビの終戦記念番組「最後の絆〜沖縄 引き裂かれた兄弟〜」が放送されました。これは私たちの教会の東フランクさんが沖縄に米軍情報兵として従軍したときの実話にもとづいたものです。番組の合間に彼も出演しているそうで、ビデオが手に入れば観てみたいと思っています。
8月16日(火)きょうは一日、プラミングの仕事をしました。水道の水がかなり硬質で、蛇口のネジなどがうまく外れなかったため、台所の蛇口を全面的に取り替えなけれならなくなりました。その作業中に、他の仕事も入って、完成したのは午後遅くになってしまいました。
8月17日(水)明日から出かけますので、その準備をしました。明日から参加するリトリートには課題図書が二冊あり、それぞれキンドルにダウンロードしてあるのですが、全部読むことができませんでした。St. John of the Cross の "Ascent of Mount Carme" は16世紀のスペインの著作で、読んでも良く理解できませんでした。しかし、そのためにセミナーがあるのですから、わからないところはセミナーで教えてもらおうと、もう一冊の "Fire Within" のほうを読んでいます。
8月18日(木)Jesus Prayer Retreat に来ました。2年間のブランクがありましたし、会場も変わりましたが、以前のリトリートで会った人もいて、「ホームカミング」といった気持ちになりました。セミナーのあと、夜の祈りに「シメオンの歌」を唱えて、一日を終えました。
8月19日(金)このリトリートセンターは、主要道路から木立の合間の細い道を一マイルほどくぐり抜けたところにあります。目下には、畑が一面に広がっています。牧場もあり、羊の群れも見ました。リトリートセンターの敷地内には鹿や七面鳥が平気な顔をして歩いています。リトリートは日常から離れて神とまじわるひとときですから、やはり、神が造られた自然の中で過ごすのがいちばんです。
8月20日(土)リトリートセンターの裏山にはトレイルがあり、すこし山歩きをしました。触るとかぶれる蔦類があるので、注意するようにとのことでしたが、そんなに危ないところもなく、良い運動になりました。林道の真ん中に、ここで生涯を終えたひとりのブラザーを記念する小さな小屋がありました。入り口にデスクと椅子があり、その奥にベッドがありました。キッチンやバスルームは外にあったのでしょう。ここで祈りと労働の生活をしたこの人はどんな人だったのでしょうか。
8月21日(日)このリトリートセンターはギルロイから少し南に行ったところにあるので、暑いだろうと思っていたら、とても涼しく、朝、夕は寒いほどでした。海からの冷たい風が入ってくるのだそうです。確かに昨日はとても風が強く吹いていました。けれども、今朝は、ほとんど風がなく、とても穏やかでした。そのためでしょうか、ヘリコプターが畑に農薬をまいていました。
8月22日(月)リトリート・マスターのケビン先生が、リトリートから帰ってすぐに慌ただしくしないで、ゆっくりと日常生活に戻るようにと注意していましたが、私の場合、家に帰ってきてもまだリトリート・モードから抜けきれません。リトリートでのテゼの歌と、りトリートセンターの職員が歌ってくれたチャントが耳について離れません。最近の教会では、楽器や音響装置、プロジェクターがなければ礼拝できないように思われていますが、そんなものが何もなくても、豊かで美しい礼拝がささげられるのだということを、今回も確認できました。
8月23日(火)来年のリトリートはケビン先生がイタリア旅行をするので行われないそうです。そのかわり9月からの月例のスピリチュアル・セミナーに出てみたいと思っています。月例会のテーマはまだ決まっていないようですが、いつもは、リトリートのフォローアップをしていますので、もうすこし、カルメル会の霊性を学んでみたい気持ちがあります。
8月24日(水)このリトリートで、キンドルのハードウェアを作っている若い技術者に会いました。キンドルのことを少し尋ねてみましたが、「企業秘密」があるようで、あまり多くを話してくれませんでした。その後の彼とのメールのやりとりで、「こうした祈りのセミナーで学ぶ観想の祈りが日常生活にどう生かされるのかを模索してみたい」とありましたが、私も同感で、リトリートの実りを日常に生かすことを求めています。
8月25日(木)来客を迎え、サリナスのスタインベック・ミュージアムにお連れしました。飛行機が予定よりも少し早く着いたので、ミュージアムのすぐ近くにある、スタイベック・ハウスでの昼食に間に合い、歴史的な建物で、当時の服装をしたウェトレスから昼食をサーブしてもらいました。メニューは当時のレセピどおりかどうかわかりませんが、地元でとれた新鮮なものを使っているそうです。
8月26日(金)お客様たちのリクエストで日本のグロッサリとアップルの本社にあるカンパニーストアに行きました。昼食のあと、大きなマリア像のあるレディーオブピース教会にお連れしました。サンノゼと近郊には他にも案内できた場所があったかもしれませんが、今回は、他の人たちがあまり行かないところにお連れしました。
8月27日(土)サバティカルの最中ですが、教会に寄って、電話や郵便をチェックしました。アメリカの学校は9月が新学期で、今週から始まっているところがほとんどです。教会はややスローですが、実質的な新年度がはじまろうとしています。
8月28日(日)"Renovation of the Church" を書いたふたりの牧師が牧会する Oak Hills Church を、同僚の牧師とともに訪ねました。ふたりの牧師と長老たちはリトリートに行っていて会うことができませんでしたが、代わりに、教会のケア・ミニストリーをしている女性の牧師から、お話を伺うことができました。彼女は私たちのために一時間以上も時間を割いてくれました。遠い道のりを行ったかいがあったように思います。
8月29日(月)きのう、Oak Hills Church でスタッフ・ミーティングのことを質問しました。毎週火曜日の午前11時30分から2時間、全スタッフでランチを共にし、学びや祈りの時を持つのだそうです。皆、忙しい人々ですが、このような週ごとのまじわりによってミニストリーのチームを築き上げています。現代はいろんなコミュニケーション手段が発達しましたが、やはり、時と場所を共有しなければ決してチームを作り上げることができないということを改めて感じました。
8月30日(火)家族三人、車で南カリフォルニアに向いました。フリーウェー5を使いましたが、途中のレストエリアが三つも閉鎖されていて、とても不便でした。ロサンゼルスに入ると、フリーウェーでもノロノロ運転で時間を取られましたが、予定の時間に到着することができました。
8月31日(水)ご主人の足が不自由になったため、アシスタント・リビングの施設に入居したご夫妻を訪ねました。おふたりのベッドルームは一室だけですが、ここには、娯楽室や図書室など、さまざまな部屋があり、日曜日には教会の礼拝もあり、毎日、何かの活動がありました。食事も三食出ますので、入居者はあまりすることがなく、皆、食事の時間のかなり前からダイニング・ルームに集まって、食事を待っていました。食べるだけの生活というのも虚しい気がします。老齢になり、身体的な制限が増えると、そうなってしまうのだと聞かされたときは悲しい気持ちになりました。
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