USA Diary

March, 2012

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3月1日(木)こども病院からこどもホスピスに移ったこどものお見舞いに行ってきました。この種の施設では全米で唯一のものと聞きました。とても良くできていて、ゲートをあけてもらって入ると、そこは別世界のようでした。こどものための遊び場もあるのですが、ここに入るこどもたちはとてもそこで遊ぶことができるような状態ではないので、施設全体はとても静かで、ひっそりしていました。職員の方はとても親切でした。ボランティアも募集していました。近ければ何かできることをしたいと思いましたが、フリーウェーを使って1時間かかりますので、とても無理だと思います。帰りは渋滞にひっかかって2時間近くかかりました。
3月2日(金)家内の誕生日にわざわざスイートを届けてくださった方がありました。誕生日を覚えていてくださったことを感謝しながら、おいしく頂きました。
3月3日(土)インターネットラジオで、英米から信仰の自由が奪われつつあるというメッセージを聞きました。英国ではクリスチャンは同性愛を認めないので、クリスチャンの夫婦には養子の斡旋をしないというようなことがあるそうです。父親、母親がそろった家庭のほうよりも、父親がふたり、母親がふたりの家庭のほうが子どもが幸せになるとでも思っているのでしょうか。アメリカではクリスチャンの病院でも、良心に反した処置や非道徳的な薬剤の投与が強制され、聖職者も、一般の職種と同じように簡単に解雇されるというような法案が出されています。明日の礼拝メッセージには「目を覚まして祈っていなさい」とのことばを引用しますが、いつか、こうしたことも、話す必要があるかと思います。
3月4日(日)礼拝メッセージをインターネットで聞いてもらうため、ストリーム発信や podcast などを実験してみました。私は、iPod や iPhone などといったものを持っていないので、どんなふうに受信されているか、正確なところはわかりませんが、私のコンピューターを使ってできることが分かりました。
3月5日(月)サンノゼではプラスチックの買い物袋を出さなくなりました。それで、いつもは買い物袋を持参して買い物に行くのですが、きょうは、サンノゼに隣接した別の町でしたので、買い物袋なしで買い物しました。久しぶりに、買い物を買い物袋に入れてもらって、なんだか、懐かしい気持ちになりました。
3月6日(火)すこし以前、近所の靴屋にちょうどよいサイズがなかったので、同じチェーン店の別の店にそれがあるかどうか見てもらいました。そしたら、二箇所にあることがわかり、それをプリントしたものと、4ドルの割引券をもらいました。きょうでその券の有効期限が切れるので、靴屋に行ってきました。買ったものは、8ドルすこしの品物だったので、ほぼ半額でそれを買うことができました。
3月7日(水)祈り会でしている暗誦聖句も10箇所目になりました。次の10箇所のカードも用意しました。神のことばが私たちの思いと、心と、生活とを形作ってくれるようにとの願いを込めてこれをしています。
3月8日(木)このところ気温が上がったり、下がったりしています。私は、からだの調子がわるいと口内炎ができます。少し痛みを感じていますので、こういう前兆があるときは、からだを休めるようにしています。
3月9日(金)東日本大震災からもうすぐ一年がたとうとしています。「復興」が叫ばれていますが、そんなに簡単ではないようです。ほんとうの復興は壊れた建物が元通りになることではなく、家族を失い、ふるさとを失い、仕事を失い、人生の夢を失った人々が再びそれを取り戻すことだと思います。けれども、そっくりそのまま元に戻ることはありえません。大きな変化を受け入れ、また、乗り越えていく必要があります。教会がこのようなときこそ、本当の復興のメッセージによって人々を助けることができるようにと祈っています。
3月10日(土)こどもホスピスにお見舞いにいった女の子が亡くなったとの知らせを受けました。まだ4歳になったばかりでした。あまりにも短い生涯でしたが、決して無意味ではなかったと思います。両親、親族に神さまの慰めを祈りました。
3月11日(日)きょうは東日本の震災からちょうど一年。当地でもさまざまな催しがありました。教会では岩手県釜石に派遣される宣教師をお招きしてお話を伺うことができました。多くの援助団体が撤退してく中で、息長く支援と伝道していきたいと言われた宣教師のことばに心打たれました。その後、募金の一助に小さなバザーをしました。
3月12日(月)礼拝メッセージの音声ファイルをポッドキャストで配信する方法に切り替えました。このおかげで、かなり作業が楽になりました。どれだけの人が聞いていてくれるのかわかりませんが、海外にいる日本語を話す人たちの役に立てばうれしく思います。
3月13日(火)北カリフォルニアの牧師会があり、私が司会でしたので、日本のために祈るときを持ちました。その後、地域でのリトリートや来年の牧師リトリートのことなどが話しあわれました。テーマは「教会政治」のことに関してという方向になりましたが、日本語牧師の間ではこの主題ではいまひとつ興味が湧かないのではないかと思い、私は、良い返事をしませんでした。日本の母校では毎夏、牧師のための研修会があるのですが、今年は「牧会と牧会者」という主題で、こういうものなら、日本語牧師にはいいのだが…と思います。
3月14日(水)福島の原発からわずか3マイルのところにあった教会の牧師が、この地域での講演のために来られました。私たちの教会での今朝の集いが、最初の集会となりました。私たちは、たんにお話を聞くだけでなく、被災地のために心静かに祈りたいと思い、10の祈りを準備し、祈りの課題をある方に読んでいただきました。このような祈りかたがとても良かったというコメントをいただきました。それに気を良くして、別の機会にもこの方法を取り入れてみようと思いました。
3月15日(木)きょうのシニアの会では日系兵士のムービーをコンピュータで再生し、プロジェクターで写しましたが、音が悪く、また、調整もうまくいかなくて、結局 DVD プレーヤーで再生し、ビッグスクリーンテレビで観ることになってしまいました。リモデルで礼拝堂の A/V 設備のアップグレードも考えられているので、コンピュータを新しくするのなら、音質のよいサウンドカードが欲しいと思いました。
3月16日(金)明日は一日出かけるのに、礼拝メッセージの準備が終わらなくて、久しぶりに夜ふかししました。ある雑誌に、人は起きているときに学んだことが睡眠中に脳に記憶されるとありました。あまり夜ふかししないで、十分睡眠を取らないと、起きているときいくら頑張っても、それが蓄えられないなのだと思い、睡眠の大切さが分かりました。
3月17日(土)春季北加聖会は、心配していたように、「聖会」というよりは「被災教会支援講演会」になりましたが、やむを得なかったと思います。お話の結論にあったように、「いつも目を覚ましていること」、「しあわせのハードルを高くしてラット・レースに没頭しないこと」、「キリストがともにおられるなら、教会はかならずよみがえること」などを学び、身につけたいと思いました。
3月18日(日)成人サンデースクールの旧約クラスは、きょうでヨブ記が終わりました。私は隔週ごとの出席でしたが、ヨブ記から新しく学ぶことも多く、良い学びができました。次は詩篇に進むのですが、詩篇は学ぶものというより、祈るものですので、そんなことを考えながら、教材を準備したいと思っています。
3月19日(月)イースターのコワイヤの賛美に男性がひとり欠けるので、ピンチヒッターで私が入ることになりました。家で練習をはじめました。コーラスは聞くのは大好きですが、うまくは歌えないので、よく練習して、他の人を乱さないようにしたいと思っています。
3月20日(火)IVP から "A Vision for the Aging Church" という本が届きました。「高齢者による高齢者のためのミニストリーの刷新」という副題がついています。James M. Houston と Michael Parker の共著です。Houston 先生がご高齢なのは良く存じ上げていますが、Parker 先生も、退役軍人とのこと、写真でみるかぎり、高齢のようです。この著書も、高齢者による高齢者のための本かもしれません。時間を作って読んでみたいと思っています。
3月21日(水)IVP からのもう一冊の本は、ウェストモント大学学長の Bayle D. Beebe の "The Shaping of an Effective Leader" という本です。Beebe 先生はリーダシップのキーワードを8つあげていますが、そのどれもが "C" ではじまる言葉です。いかにもアメリカ的な記述ですが、たんなるハウツーものではないので、この本からも深く教えられたいと思っています。
3月22日(木)きょうは事務的なことで一日が終わりました。夜は第33回目のリモデル委員会がありました。リモデル・プロジェクトもいよいよ大詰めに入りました。「40回以上はしたくないね」と言う冗談が出ましたが、いままでの積み重ねを労をとってくださった方々に感謝します。
3月23日(金)きょうはミーティングのない日で、Eメールや電話などでのコンタクトはありましたが、礼拝の準備にまとまった時間を割くことができました。私の尊敬する牧師は、神学校での教授や著作をしながら、毎週ふたつの説教を2日かけて準備しているとのことでした。私の場合はひとつの説教で2日かかります。プリーチングの賜物をもっと願い求めなければと思っています。
3月24日(土)新約クラスの「ペテロの手紙第一」が明日で終わります。旧約クラスのほうは「ヨブ記」が終わって、「詩篇」に進む予定ですが、イースターまでは「レントの黙想」からのシェアリングをしてもらっています。「詩篇」は「聖書研究」として「読む」のでなく、「祈る」ものなので、旧約クラスの人々に「レクティオ・デヴィナ」を身につけてもらいたいと願っています。
3月25日(日)夕方、大きなメモリアル・サービスがありました。キャンベル市のコミュニティ・センターの400人を収容できるホールが会場でした。「無宗教」のサービスでしたが、「神さま」や「天国」、「祈り」ということばが、たくさん使われました。わたしは、短いスピーチと祈り、そして、皆さんに黙祷をお願いする役割でしたが、無事にそれを果たせたと思います。あとで、クリスチャンの方から「ほとんどがノンクリスチャンの集まりで、イエスさまのことを話してくださってありがとうございます」という英文のメールをいただきました。
3月26日(月)「イースターの黙想」をしあげるときになりました。もう少し早く印刷したいと思っていましたが、手直ししたほうが良いところがたくさんあって、印刷は木曜日になりそうです。
3月27日(火)小鳥が我が家の窓のところにきて、一所懸命ガラスをつついています。ガラスに何かついているのでしょうか。それとも家の中に入りたいのでしょうか。そのしぐさはとてもかわいいのですが、長く続くと、ちょっとうるさく感じることもあります。人の姿を見ると逃げて行きますが、また戻ってきます。くちばしを痛めなければよいがと心配もしています。
3月28日(水)メモリアル・サービスを主催されたご両親が、わざわざ、お礼に来てくださいました。サービスにいらした方々へのギフトとして配られた「忘れな草」の種をたくさんいただきました。種の袋に亡くなった子どもの写真のステッカーを貼ってあります。父親の妹さんのアイデアだそうです。サービス全体に彼女のアイデアがみられたようです。
3月29日(木)「イースターの黙想」は、他の教会からまとまった部数を頼まれていましたので、きょう印刷して送ることができました。明日には着くことでしょうから、4月1日の礼拝で配っていただければちょうど良いかと思います。
3月30日(金)コンピュータを使える方には「イースターの黙想」は PDF ファイルで送りました。さっそく、何人もの人たちから「印刷しました」という返事をもらいました。
3月31日(土)きょうの教会大掃除は、庭の手入れもする予定でしたが、雨のためできませんでした。ところが、皮肉なことに大掃除の時間が終わったころには雨が止み、午後からは完全に晴れあがりました。雨の順序が逆だったら良かったのにと思いましたが、神さまの思し召しは別のところにあったようです。
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