USA Diary

March, 2013

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3月1日(金)カトリックのクリスチャンにはレントにチョコレートやコーヒーなどを「ギブアップ」する人が多くいますが、ベネディクト16世はレントに教皇職を「ギブアップ」したという悪い冗談も耳にします。私はベネディクト16世を優れた神学者としてとても尊敬しています。次の教皇も、ベネディクト16世のように伝統的な教理の擁護者であって欲しいと思います。
3月2日(土)朝早い飛行機でダラスに向かいました。家を出るのが遅かったので、フライトに間に合うかと心配しましたが、セキュリティゲートがあまりつかえていなかったので、ちょうど良いタイミングで搭乗することができました。
3月3日(日)めったにしないのですが、きょうの礼拝ではスライドとムービーを使いました。礼拝堂が明るかったので、ムービーが白黒のように見えてしまいました。サンタクララの礼拝堂は照明を消すと暗くなるので、その感覚でムービーを使ってしまいました。それでも、メッセージは伝わったと思いますが、場所が変われば環境も変わることに、もう少し注意したいと思います。
3月4日(月)ダラスに来るたびに、みなさんがご馳走でもてなしてくれます。土曜日の昼食はフランス料理、夕食は中国料理、日曜日の昼食はインド料理、夕食はポットラック、月曜日の昼食は日本料理、夕食はメキシコ料理で、今回も各国の料理を食べ歩きました。どのレストランもきれいでおいしく、値段も手頃で、とても気に入りました。
3月5日(火)ダラスでは頼まれて「教会暦」や「教会の歴史」の話しをしました。私たちの信仰の基礎は聖書ですが、その聖書を生み出し、それを伝え、それを生きてきた教会の歴史を無視しては、聖書をも読み誤ることになります。そのことに少しでも気付いていただければ、私のしたお話しにも意味があっただろうと思います。
3月6日(水)神は旧約時代にはさまざまな「祭り」を定め、イスラエルにそれを守るように命じられました。それらの祭りはどれも、神がイエスラエルを救い、守ってくださったことを記念するものでしたが、同時に季節や収穫と関わりがありました。神は、地上に季節を定められたお方であり、季節の中に生きる私たちに、それぞれの節目で神を覚え、礼拝し、神の救いを祝うように導いておられます。教会暦は、新約の神の民がイエス・キリストによる神の救いを覚え、祝うためのものです。とくにアドベントからイースターはイエスのご生涯を覚え、それをだとります。教会暦の中心はイエス・キリストです。それによって「ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえった」お方を覚えるのは素晴らしい恵みだと思います。
3月7日(木)クリスマスやイースターは異教の祭りに起源があり、聖書的でないから、そういうものを守るのは良くないと言われることがあります。確かにその時期には、土着の神々への祭りが行われていました。だからこそ、教会は、そうした時期に、クリスチャンが異教の祭りに参加しなくて済むように自分たちの祭りを祝ったのです。今でも、ブラジルの教会では若者たちがカーニバルのときに行われる不道徳に巻き込まれないよう、教会キャンプなどを行ったりしています。クリスチャンの祭りには、自らを異教から守り、さらにキリストとその救いこそ祝われるべきものであることを人々に知らせるという役割があったのです。
3月8日(金)そんなわけで、私は、教会暦を大切にしています。教会暦を守ることによって、私たちの信仰生活が、のんべんだらりとしたものではなく、節目を持ち、イエス・キリストの救いが日々の生活の中により生かされてくるようになると思っています。
3月9日(土)明日から Daylight Saving Time(夏時間)です。毎年のことなのに、夜休むまで忘れてしまっていて、やっと気がついて時計を一時間進ませたら、ずいぶん遅くなってしまっていました。
3月10日(日)レントの第五の日曜日になりました。アドベントの第三には紫色を薄めたバラ色のキャンドルをつけ、やがて来るクリスマスの喜びを先取りするように、レントの期間が満ちようとするとき、やがて来る復活の喜びを先取りして、通常の典礼色の紫ではなくバラ色を使うことがあると聞きました。アドベントはキリストの降誕を「待つ」時ですが、レントはキリストの復活を「待つ」時です。悔い改めと節制はレントのテーマですが、同時に、復活の喜びも忘れてはいけないと思います。
3月11日(月)典礼色には、赤、白、紫、緑の四色があり、サンタクララ教会日本語礼拝では、赤と白、紫と緑がそれぞれ表裏になったプルピットスカーフがあって、それが教会暦を告げています。たった二枚の布切れで教会を飾るのですから、慎ましやかな装飾ですが、これは美しい習慣であると思います。典礼色から、信仰のシーズンを感じ取ってくれるとうれしく思います。
3月12日(火)教会暦や典礼色は伝統的な教派で守られていますが、福音派やカリスマ派などと言われる教会ではほとんど守られていません。けれども教会暦や典礼色は特定の教派だけのものではありませんから、それぞれの教会が、それにふさわしい形で取り入れていって良いと思います。どの教派の教会も、クリスマス、イースター、ペンテコステを祝うのですから、こうしたものを「共に」祝うことによって教会の一致が促進されると思います。
3月13日(水)前教皇の退位から異例の早さで、新教皇が選ばれました。しかも、アルゼンチンから。新教皇フランシスが「枢機卿たちは地の果てまで教皇を探しに来た」と冗談を言っていましたが、ヨーロッパ以外から、しかも南米から教皇が選ばれたことは大きな意義があります。これは将来の教会史に特記される出来事で、私の人生のうちにこんなに大きな変化が起こるとは思っていませんでした。
3月14日(木)カトリック教会を大きく変えることになったバチカン第二公会議(1962~1965年)は私の高校生のころ、教皇ヨハネ・パウロ二世の在位(1978〜2005年)は私の牧会生活と重なっています。日本ではカトリック教会に関わることはありませんでしたが、アメリカに来て、カトリック教会の改革に触れ、前教皇ベネディクト16世の著作やアメリカ訪問を通して親しみを覚えるようになりました。カトリック教会はバチカン第二公会議からまだ50年、アメリカではバチカン第二の精神が生かされているように思いますが、他の国のことは良くわかりません。カトリック教会はこれからも変わっていくでしょう。キリスト教の歴史の節目に立っていることを実感し、感動しています。
3月15日(金)やっと「レントの黙想」の最後の二週分ができました。毎年欠かさず作っている「レントの黙想」ですが、いつも新しい気付きがあります。けっこう時間のかかる作業ですが、これからも毎年続けていきたいと思っています。
3月16日(土)教皇フランシスが3月19日の就任の前に記者会見を行い、開かれたバチカンを印象づけました。教皇が「教会の中心はキリスト」、「キリストなしには教会はたんなるNGOになってしまう」などと言われたことが印象に残りました。
3月17日(日)きょうはセント・パトリック・デー。アイルランドに伝道した聖人を覚える日で、緑色の服を着る習わしがあります。緑色のものを身に着けていないとつねられるという風習があります。何人かの人たちは緑の服を来て礼拝に来ていましたが、セント・パトリックがどういう人であったかを知る人はほとんどいなかったように思います。
3月18日(月)きょうのムービー・アワーには "God's Mighty Servant" を観ました。教皇の秘書となったシスターの物語です。ドイツ語の映画で英語の字幕でしたので、目を離したときにセリフが分からなくなったところもありましたが、ストーリーは追うことができました。戦争の時代を生き抜いた女性のたくましさと信仰が良く描かれているように思いました。
3月19日(火)あすは春分の日。アメリカのカレンダーには "Spring begins" と書いてあります。春分の日は 1990年から2025年までは閏年とその翌年が 3月20日になり、その他の年は 3月21日となるそうです。去年は閏年でしたから、今年は3月20日というわけです。
3月20日(水)夏時間となり、また春分の日となったので、外は7時を過ぎても明るくなりました。夕方西に向かうと太陽がとてもまぶしく、運転していて危ないと思うときがあります。
3月21日(木)同僚の牧師と、「一緒にランチを食べに行こう」と言いながら果たせないでいます。お互いに忙しいので、のびのびになっています。「イースターの後でね」と言いましたが、そのあとはタックスの申請があります。今年こそ、早目にと思いながら、今年も、締切ぎりぎりになりそうです。
3月22日(金)来週のグッドフライデーのための賛美練習がありました。金曜日の夜は、いろんなグループが礼拝堂やソーシャルホールを使うのですが、きょうは他のグループと重なることがなく、十分に練習ができたようです。
3月23日(土)教会では春の大掃除がありました。私は、アドベント・キャンドルをしまいました。もう何年か使っていますので、だいぶ短くなりましたが、今年、もう一年は使えると思います。これは、ある人から亡くなられた母親の記念にと贈られたものですので、大切に使っていきたいと思っています。
3月24日(日)きょうはパームサンデー。残念ながら礼拝堂にはパームの飾りはありませんでしたし、きょうの私のメッセージも、イエスさまのエルサレム入城に関連したものではありませんでしたので、とりなしの祈りの中にパームサンデーのことを含めました。イエスさまがエルサレムに入城なさったのは、人々から讃えられるためではなく、十字架におかかりになるためでした。イエスさまとに苦しみを共にする決意をもってパームサンデーの礼拝をささげたいと思いました。
3月25日(月)日本にいたころは受難週には毎朝早天祈祷会をしていました。アメリカに来てからはレントのデボーションを書いたり、レントコンサートなどをしました。グッドフライデーには、イエスさまが十字架の上で語られた七つの言葉からの証しを中心にした礼拝を持ってきました。アメリカの現代的な教会では教会暦に無頓着ですが、やはり、受難週は特別な週です。
3月26日(火)サンディエゴにいたときは、「十字架の七つの言葉」は毎年、七つともグッドフライデー礼拝でとりあげていました。サンノゼではその中から三つだけ選んで、証しがありますが、他の四つも、それを朗読したり、牧師が短くコメントするなどしてとりあげたら良いと思います。毎年そう思うのですが、今年も、そのことを提案できませんでした。
3月27日(水)「十字架の七つのことば」は多くの人がそれについての本を書いています。私もそれを説教で取り上げたり、小冊子を作ったりしましたが、いつかきちんとした形にまとめてみたいと思っています。できれば、私ひとりの黙想ではなく「祈りのリトリート」などで、みんなでいっしょに黙想したものをまとめられたらいいと思っています。
3月28日(木)イースターの礼拝はこどももいっしょのファミリー礼拝ですので、「イースター・ストリー」のスライド・ショーを用意しました。福音はストーリーの形で提示されています。十字架と復活のストーリーは、ストーリーそのものにメッセージがありますので、大人にも伝わるものがあると信じています。
3月29日(金)FEBC で「テゼ共同体に学ぶ」という特別番組が放送されました。日本でもようやく「テゼ」に目を向ける人たちが出てきたことをうれしく思いました。この番組の中で吉川先生が「福音派ではテゼに対して抵抗がありました」という言葉は、私も体験してきたので、共感できるものが多くありました。この番組を多くの人に聞いて欲しいと思います。
3月30日(土)二度目の「祈りの教室」をしました。二度目といっても、前回出られなかった人たちのためのもので、予定した内容の半分した話せませんでした。こういうものは年に二度、一日リトリート、または一泊リトリートをして学び、実践していく必要があるように思います。以前から私に与えられている「祈りのリトリート」のビジョンはまだ実現していませんが、神さまの許しがあれば、近いうちに実現を見たいと願っています。
3月31日(日)イースター礼拝ではいつものように「ハレルヤ」を三唱しました。きょうはこどももいっしょのファミリー礼拝でしたので、スライドを使ってのイースターストーリーとしました。日本に旅行中の人たちのいましたが、やはりイースターで、ふだんより多くの人が集いました。
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