USA Diary

May, 2012

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5月1日(火)「ラスベガスから帰ったら、いっしょにランチに行きましょう」と、同僚の牧師と約束していたのですが、彼がメモリアル・サービスや結婚式の司式をすることになり、忙しくて実現しませんでした。ふだん教会に来ていない方でも、入院した、ホスピスに入った、亡くなったというと、やはり牧師が呼ばれます。人生のしめくくりのお手伝いをすることは、とても栄誉なことです。古代から「人を葬る」ことは善行のひとつとされてきましたので、心を込めて務めを果たしたいと思います。
5月2日(水)いつも夕の祈り会に出席している4名がしばらく出席できなくなりました。どうなるかと思っていましたら、しばらく旅行に出ていた人が帰ってきて出席してくれました。いつもの祈り会の半分の数でしたが、熱心に祈り合う、良い時を持ちました。
5月3日(木)年二回の歯のクリーニングの期限が随分前だったのですが、なかなか歯医者に行けないでいて、きょう、やっと行くことができました。歯は概ね良好ですが、欠けた部分があるので、そこを埋めてもらうことになり、来週、また予約をとりました。
5月4日(金)きのうは第61回「全米祈りの日」でした。これはリンカーン大統領の時に始まった伝統あるものですが、今の大統領がこれをサポートしなくなり、「全米祈りの日」が各教会でも守られなくなったようです。サンノゼでも、大きな催しがあったという知らせを耳にしませんでしたが、良い伝統はしっかりと守っていきたいものと思います。
5月5日(土)娘のアクティビティが教会であったため、土曜日ですが、お弁当を持って教会に行きました。帰り道、グロッサリーに寄りました。土曜日の午後遅い時間だったので、チェックアウト・レーンが随分混んでいました。私が買おうとしていたものが、一点だけだったので、私の前の人が「先に行ってもいいよ」と言ってくれましたので、そのことばに甘えました。親切に感謝しました。
5月6日(日)ひさしぶりに礼拝メッセージをウェブページにアップロードしました。二週間、予告なしに礼拝メッセージのアップロードがなかったので、忠実にアクセスしてくださる方にはご迷惑をおかけしました。
5月7日(月)暑い日になりましたが、家のカーペット・クリーニングをしました。今回はベッドやソファーなども動かしましたので、随分疲れました。店から借りてくるカーペット・クリーナーでは、カーペットの汚れはとれますが、シミはとれません。それはプロフェッショナルに頼んでも同じで、やはり何年かに一度はカーペットの取り換えが必要なのでしょう。
5月8日(火)きょうはしなければならないことがたくさんあって、この地区の牧師会のあと、食事をしないで早く帰ってきました。教会から車の保険のカバレッジを増やすよう言われていたので、AAA で手続きをし、直接支払ってきました。
5月9日(水)聖書クラスで「ヤコブの手紙」を読んでいるので、ヤコブの手紙の黙想サンプルを作りました。でも、まだ、それを質問集やコメントとして受け取られています。「黙想」そのものが良く理解されていないようです。Lectio Divina の説明もしているのですが、こればかりは、説明を聞いてもしょうがなく、自分でやってみるしかありません。Lectio Divina が理解され、実践されれば、どんなにみことばに生かされる日々を送ることができるだろうかと思います。
5月10日(木)今週の礼拝では、2010年12月5日に亡くなった、M.A. Thomas のことを話しました。この人はインドで孤児院をはじめ、貧しい人々のために数々の働きをした人でした。私は、この人のことをほとんど知らなかったのですが、説教の準備をしていて知ることができ、とても良かったと思います。彼の働きは息子によって受け継がれており、hopegivers.com に詳しく紹介されています。
5月11日(金)今年度の「いずみ会」はきょうが最後で、夏休みになります。今年度は「聖書の女性」を話してきましたが、「母の日」も間近ということで、最終回はドルカス(タビタ)を選びました。二世の方々の中には多くの人に愛を与えたドルカスのような人が大勢います。そうした人たちに出会えたことは、うれしいことでした。
5月12日(土)「ご覧よ空の鳥」という賛美があります。誰にも親しめる詩と曲です。来年の「いずみ会」で歌ってもらいたいと思っていますが、楽譜が手に入っていません。日本に行ったら、ぜひ手に入れたいと思っています。
  1. ご覧よ 空の鳥 野の白百合を
    蒔きもせず 紡ぎもせずに 安らかに 生きる
    こんなに小さな いのちにでさえ 心を かける父がいる

    (おりかえし)
    友よ 友よ 今日も たたえて歌おう
    すべての物に 染み通る 天の父の いつくしみを

  2. ご覧よ 空の雲 輝く虹を
    地に 恵みの雨を 降らせ 鮮やかに映える
    どんなに苦しい 悩みの日にも 希望を 注ぐ父がいる
5月13日(日)きょうは「母の日」。今月の礼拝では「与えるクリスチャン」というテーマで話しているので、「母が与えてくれたもの」を考えながら「与える幸い」についての説教をしました。新約聖書、コリント第一4:7に「いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか」とあるように、私たちの持っているものすべては、神からもらったものにすぎません。そのことを忘れないようにしたいと思いました。
5月14日(月)CD を作るために、デジタル録音機を操作しました。賛美とショートメッセージの CD を作るのは2年ぶりで、操作の仕方を忘れていないかと心配でしたが、使っているうちに思い出してきて、なんとか試作品を作ることができました。試作品を聞きながら、調整を繰り返し、あとはコンピュータで仕上げます。今回は十分な時間がないので、良いものができるかどうかわかりません。
5月15日(火)毎週火曜日の午前中はスタッフ・ミーティングです。いつも「長くならないように」と言って始めるのですが、あれこれのことを話していると長くなっています。しかし、いつもしっかりと祈って集まりを閉じています。話し合いだけで祈りの無いところには、神さまの働きは無いからです。
5月16日(水)きょうの夕の祈り会は、旅行に出かけている人たちと、所用のある人が休みましたので、三人だけで守りました。ひとりは90歳を越える高齢の方で、娘さんに送ってもらってきていましたので、娘さんが教会と自宅を往復しなくて良いように、短い祈り会にし、早めに家に連れてかえってもらいました。でも、決して手を抜いた祈りをしたわけではありません。たとえ時間は短くても真実な祈りは聞かれると信じています。私は次の二回の祈り会を留守にしますし、旅行中の方々も来月まで戻ってきませんので、夕の祈り会は朝の祈り会に合流することにしました。
5月17日(木)私たちの教会の年度は6月から翌年5月までですので、きょうは今年度最後の執事会となりました。以前は、年度末の慰労会や、新年度の新しい役員を交えての食事会などがあったのですが、だんだんとそうしたものが無くなってきました。そうしたものが無くても差し支えはないのですが、少しお互いの労をいたわりあう工夫ができたら良いかと思いました。
5月18日(金)来週、日本に出かけます。1991年にサンディエゴに来てから日本に行ったのは、今まで1998年3月(長岡訪問)、1999年10月(姪の結婚式)、2003年3月(神学舎卒業式)、2009年6月(甥の結婚式)の4回で、今回が5回目となります。20年で5回ですから、4年に一度は日本に行っていることになります。日本以外の国では、1996年1月にイスラエルに行っただけです。
5月19日(土)日本に持っていく「おみやげ」といっても、食べ物は日本のものがもっとおいしいし、英語の本などは読んでもらえないので、いつも何をもって行こうかと困っています。今回はクリスチャン・ストアで買ったもの少しと、自分で作った日本語の読み物などを持っていくことにしました。あと、私が分け与えられるものは、聖書の学びで、それはウェブページにありますので、ウェブページの宣伝カードを持って行こうと思っています。
5月20日(日)日本に自作 CD を持って行くので、その仕上げに教会と自宅を行ったり来たりしました。きょう全部できなかったので、明日、最終版を作ることになります。同じ CD でもプレーヤーが違うと聞こえ方が違うので、CD の作成にはいつも苦労します。今回はメッセージの録音状態が良くありませんが、メッセージの数を減らしたので、ご容赦いただきたいと思っています。
5月21日(月)日本に行くのは以前奉仕した新潟県長岡市の教会の創立記念礼拝で説教するためですが、前日の土曜日に歓迎会をしてくださるとのことです。そのとき、私たちのアメリカでの様子をスライドにして欲しいと言われました。私はあまり写真を撮らないほうなので、お見せできるようなものはあまりないのですが、なんとか、写真のファイルをつなぎあわせてスライドを作り、それを DVD にしました。
5月22日(火)明日は日本に向けて出発するので、きょう、日曜日に発行するもののファイルなどを仕上げておきました。日本ではメールをチェックできないかもしれないので、できるかぎりのメールに返事を出しておきましたが、チェックしきれなかったものも数多くありました。
5月23日(水)今回は格安航空券のため、サンノゼからロサンゼルスを経由して羽田に向います。サンフランシスコまで送ってもらう必要がないのが利点ですが、ロサンゼルスでの待ち時間が長いのが難点です。今年中にはサンノゼから日本への直通便が再開されるそうですが、値段が高くてもそのほうが楽だろうと思います。
5月24日(木)飛行機の中で「山本五十六」と「サッチャー首相」の映画を観ました。ふたりのリーダーから教えられるところが多く、とくに「山本五十六」は、これから向かう長岡市が生んだ英雄ですので、観ておいて良かったと思いました。
5月25日(金)ロサンゼルスを夜中に出て、羽田に午前6時ごろ着きました。入国審査のとき、写真と指紋を撮られました。税関で申告しなければならないものは何も持って行きませんでしたので、税関は問題なく通れました。空港に近い友人が迎えにきてくれました。いつもは成田か関西を利用していて、羽田を使うのは今回がはじめてでした。羽田から都心へはすごく近く便利に思いました。午後からもうひとりの友人のところに行き、一泊させてもらいました。
5月26日(土)朝、上野から上越新幹線に乗って長岡に向いました。お世話になった家から、最寄りの駅まで、沢山の荷物を持ってどうしようかと思っていましたら、ちゃんと手押し車を用意していてくれました。手押し車のままエレベータで駅改札まで行くことができました。各駅でもエレベータを使って移動しました。アメリカではいつも車を使って旅行していますので、荷物を持っての旅行はたいへんだなあと感じました。
5月27日(日)長岡には1998年以来、14年ぶりの訪問です。昨晩は「歓迎会」で懐かしい人たちに会い、きょうの礼拝や感謝会でも、1989年に日本を離れて以来の人たちに会いました。すぐに名前の出てこない人たちもありましたし、風貌が変わっていて、その人だと分からなかった人もありましたが、多くの人は20数年前のままで、昔にもどったような気分でした。盛り沢山な集まりでしたが、ほんとうに温かく迎えていただき、幸せなひとときでした。
5月28日(月)長岡を夜行バスで発ち、大阪なんばに着きました。姉の家に行き、介護施設にいる兄を訪ねました。最近手術したばかりで弱ってはいましたが、記憶の障害などがないのが何よりと、感謝しました。姉は「何かおいしいものでも食べに行こうか」と誘ってくれましたが、特に食べたいものもないので、あっさりしたものを作ってもらって夕食をいただきました。
5月29日(火)神戸の友人と会い、ホテルのレストランで豪華な和食をいただきました。和服に身を包んだウェイトレスが給仕してくれました。せっかく日本に来たのだから、日本的なものがいいだろうとの配慮と思い、感謝しました。この夫妻に会うのも、1998年以来だと思います。あのときは阪神淡路大震災からまだ3年たったところで、神戸の町はかなり回復していましたが、まだ地震の跡を認めることができる場所もあったのを覚えています。
5月30日(水)昨晩再び夜行バスで東京に来ました。町田市の友人に見送られて羽田から発ちました。羽田のセキュリティ・チェックポイントでは、靴や上着を脱がなくても良く、あまり詳しく調べられることもなく通過しました。係官も女性ばかりで、大丈夫かしらと思いました。アメリカでは体の大きな係官が恐い顔をして待ち構えており、X 線装置もあるので、テロリストや麻薬の運び屋をひるませる効果があるのではと思いました。
5月31日(木)昨日、ロサンゼルスに着いたものの、サンノゼに戻る飛行機が最終便なのに、故障のためいつ出発できるか分からないというので、ホテルに泊まることになりました。航空会社が提供してくれたホテルは教団の修養会で使っているホテルなので、勝手がわかり、安心して泊まれました。夜行バスと日本からの飛行機を乗り継いできましたので、2日ぶりにベッドに寝ることができ、ぐっすり休みました。朝の食事も航空会社から出たチケットで食べることができました。
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