USA Diary

August, 2012

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8月1日(水)もう8月になりました。この夏のプロジェクトはまだ終わっていませんし、9月からの聖書クラスの教材も完成させなければなりません。神さまに、知恵と力を求めています。
8月2日(木)金曜日は床屋さんが混むので、きょう、いつもの床屋さんに行きました。おかげてさっぱりしましたが、ますます髪の毛の少なさが目立つようになりました。
8月3日(金)8月になってから涼しい日が続いています。去年と同様、今年もアメリカ中西部では高温の日が続いていますので、カリフォルニアの気候がどんなに恵まれているかを感じます。今年は、高温だけでなく、干ばつの被害も広がり、アメリカのとうもろこしの8割が枯れてしまったと報道されていました。干ばつというと、どこかの他の国のことと思われがちですが、このアメリカで起こっているのを忘れてはならないと思います。
8月4日(土)説教の準備のために、窪寺俊之先生の書いた「スピリチュアル・ケア」について本を調べましたが、その中にに、精神医学でのスピリッチャリティの定義を見つけました。そこには、「人生の危機のおりに、それを打開しようとして自分以上のものを求め、自分自身の深層に降りていく機能」のように書かれていました。いと高き神に向かって上昇することと、自分の内面に深く降りていくこととは互いに関連しており、このことは聖書の中にも、それぞれの時代の聖徒たちの体験にも見られます。キリスト者の霊性を考察するにあたって、このあたりのことをきちんと整理しておく必要があると思っています。キリスト者の霊性については、研究を深めようと、さまざまな書物を読んでいますが、それを自分自身が深く体験し、わかりやすい言葉で表現できるようになりたいと願っています。
8月5日(日)明日は「ヒロシマ」の日。9日は「ナガサキ」の日です。シリアでは内乱、アジアでは領土問題が起こっている昨今こそ、平和への誓を新たにしなければならないと思います。礼拝で、そのことを祈りましたが、最近は、私が日本にいたころよりも、キリスト者の平和のための祈りや運動が低調なように思います。問題の解決を武力に訴えるのは、キリスト者的なこととは思えません。
8月6日(月)キンドル版で買った ”Discovering Lectio Divina" を少しづつ、読みはじめています。Lectio の部分で、著者は「自分の目で聖書を読む」ということを勧めていました。「自分の目で読む」というのは、自分が今、置かれている状況から、主体的に読むうということです。聖書の朗読を耳で聞くということもあるでしょうが、たいては目で読みますから、この表現はとても分かりやすく、良い説明だと思いました。
8月7日(火)Lectio Divina に対して疑問を持つ人たちの多くは、聖書を「主体的に読む」ということが、「主観的に読む」ことになってしまい、聖書の私的解釈につながるのではないかということかもしれません。”Discovering Lectio Divina" ではそれに答えようとしていますが、この部分は、もうすこし納得がいくように説明しなおす必要があるかもしれません。それは私自身の課題でもあります。
8月8日(水)Lectio Divina の日本版が「アシュラム」ですが、私は、分かち合いの時間があって、もし、誰かが聖書を誤解して受け取っていたなら、他の人の分かち合いを聞くことによってそれを正すことができると、アシュラムで教えられました。ただし、それは他の人の分かち合いに謙虚に耳を傾けるという姿勢があってのことで、分かち合いの時に、自分の言いたいことをまくしたてるだけでは「私的解釈」が正されるのは難しいでしょう。
8月9日(木)聖書は信仰に関しての最終の権威ですが、それを正しく解釈するための、もうひとつの基準がなければ、みんなが自分の都合に合わせて解釈し、それぞれが聖書を「錦の旗」にして自分の正しさを主張するようになってしまいます。私は、聖書を解釈する務めは教会にあると信じています。聖書は旧約の教会イスラエルに与えられ、新約のイスラエル、教会がそれを引継いできたからです。教会は聖書を生み出し、記録し、保存し、解釈し、翻訳し、宣べ伝え、教え、広めてきました。しかし、同時に、聖書が教会を生み出し、養い、育て、教え、導き、広めてきました。聖書と教会、それはサイド・バイ・サイドのものだと思います。聖書を大切にする人は教会を大切にし、教会を大切にする人は聖書を大切にします。
8月10日(金)私が「聖書と教会」と言う場合の「教会」はひとつの地方教会のことではありませんし、特定の教団・教派のことではありません。アメリカやヨーロッパといった特定の地域の教会のことでもありません。そして、それはまた、21世紀の、この時代の教会のことだけでもありません。初代教会から今にいたるまで、二千年の歴史を貫き、全世界でイエスをキリスト、主とあがめている、総体として教会をさしています。ですから、聖書の解釈が正しいかどうかを判断するのに、私は古代から現代に至る良き信仰の教師たちに聞くようにしています。それは、骨の折れる仕事で、力の及ばないことが多くありますが、牧師として、また、聖書の学び手として、しなければならないことだと思っています。
8月11日(土)民主主義は多数決の原理があります。それで、どの国の政党もひとりで多くの議員を獲得し、ものごとを決める主導権をとろうとします。しかし、多数のほうがいつでも正しいかというとそうではありません。「数は力」とばかりに、ものごとを押し進めようとするなら、それはほんとうの民主主義ではないでしょう。まして、信仰のことがらについては、多数決だけで物を決めてはならないと思います。もし、信仰の真理のことがらで多数を問うなら、今生きている信仰者たちだけでなく、過去に生きた信仰者たちにも票を投じさせるべきでしょう。教会は天と地にあって、地上の教会だけで物事を決めてはいけないと思います。
8月12日(日)「天上の教会の聖徒たちに票を投じさせる」などというのは過激に聞こえるかもしれませんが、それは、生涯を信仰のためにささげてきた初代、古代、中世、近世、現代の、世を去った人々の著作に学ぶということを意味します。何事を決めるにも、歴史に聞くことなしにするのは危険だと思うからです。地上の教会は謙虚に天上の教会に聞くべきだと、このごろ、思えてしょうがありません。
8月13日(月)ひさしぶりに、日本のビデオを楽しみました。もちろん時代劇ですが、時代劇はもう NHK 以外はレギュラーでは作られておらず、さみしいかぎりです。
8月14日(火)今まで、なかなか手がつけられなかった教会の書類の整理を始めました。最善の整理は「捨てる」ことですので、私にしてはかなり、思い切って捨てました。すこし片付きましたが、まだ、まだ整理は続くでしょう。
8月15日(水)祈り会では、毎週一つづつ、暗誦聖句を覚えています。26箇所覚えたところで、復習をする予定でしたが、7月にそれができませんでしたので、きょう、26の箇所の復習をしました。
8月16日(木)西ナイル熱が蚊を媒介して流行しています。カリフォルニアでは、その心配は、まだ無いようですが、今週、西ナイル熱が流行っているテキサスに行きますので、少し心配です。
8月17日(金)来週のテキサス旅行の間に礼拝堂のリモデル工事が始まります。礼拝堂後ろのストレージにしまってあるアドベントキャンドルとスタンドなど、大切なものを私の部屋にしまいました。書類の整理をしたのでそのスペースができたのですが、せっかくすっきりした部屋がまた荷物で埋まったしまいました。
8月18日(土)ダラスに来ました。飛行機を降りたとたん、サンダーストームでした。警報が出たため、夜の家庭集会に来れなかったほどでした。「これが飛行機の到着時間にかちあっていたら、飛行機が別の空港に向かったかもしれませんよ」などと脅かされましたが、集会が終わってホテルに向かうころには雨は小止みになりました。
8月19日(日)日本語教会での礼拝と夕礼拝の奉仕を無事に終えました。夕礼拝のレッスンの後にははたくさんの質問が出ました。夕食のあと、音楽大学の大学院生たちによるバイオリン、チェロ、ピアノの三重奏がありました。三人とも韓国のクリスチャンで、音楽を信仰のあかし、また、神への賛美として奏でてくれ、韓国クリスチャンのスピリットとパワーを見せてくれました。
8月20日(月)帰りの飛行機は、最後部の座席になってしまいました。私たちが乗った機種は、エンジンが主翼の下ではなく、尾翼の上についているので、エンジンの側で、三時間、エンジン音でうるさかったです。ノイズをキャンセルするヘッドフォーンがあって、以前から欲しいと思っていたのでが、今度こそ、手頃な値段のを見つけたら買おうかなと思っています。
8月21日(火)ヴァケーションは金曜日まで取ってありますので、きょうは、買い物とガラージの片付けをしました。ヴァケーションでどこかに出かけるときは、帰ってきてから一日は骨休めをする日を持つ日をもっています。
8月22日(水)きょうは娘のソーシャル・グループにくっついていって、ボランティアの方たちといっしょにレストランで食事をし、おしゃべりして帰ってきました。ちょうどヴァケーション中だったので、参加でき、良かったと思っています。
8月23日(木)ヴァケーション中に、教団の夏期修養会ページのプログラミングをしました。いくつか新しいアイデアが浮かんだので、それを生かしてみました。プログラミングのアイデアというのは、いつも考えていて浮かぶのでなく、なにげないとき、ポッと浮かぶので、不思議です。
8月24日(金)きょうは、まだヴァケーション中でしたが、礼拝プログラムの準備などあって、教会に行きました。アスベスト工事が終わっていて、空気検査もパスして、作業員が防塵用のシートを取り除いていました。アスベスト粉塵の害を心配している人が大勢いますので、早速、「空気検査合格」の知らせを、みなさんに、メールで送りました。
8月25日(土)バプテスマ準備会をしました。リモデル工事でバプテスマ槽は当分使えなくなります。今、準備中の人がバプテスマを受けるのは、リモデル後の礼拝堂になります。
8月26日(日)教会の隣の建物で日本語の礼拝を持つことになりました。なんとか60人入ることができました。朝の礼拝の混雑を避けるため、夕礼拝もはじめましたが、夕礼拝は7名だけで、うち4名は朝も出席しましたので、今のところ、夕礼拝にスイッチする人は少ないようですが、それでも、夕礼拝には夕礼拝なりの恵みがあります。
8月27日(月)新しく買ったプリンターの台を作るなど、ヴァケーション中できなかったいろいろな雑事をしました。ダラスも、私たちが行ったときにはそんなに暑くなかったので、とても助かりましたが、こちらはもっと涼しく、働きやすいので、ありがたく思います。
8月28日(火)礼拝堂のリモデルの工事が始まりました。日本なら、大工さんが5〜6人で一斉にとりかかるのですが、こちらは、ひとりかふたりのサブ・コントラクターの人たちでゆっくりやっています。しかも3時ごろにはもう終わってしまうので、予定の期日に終わるのだろうかと心配になります。
8月29日(水)リモデル工事のことですが、今週はリモデルする部分のフレームを取り除く工事で、正面のパネルなどを剥がし始めました。剥がすだけの仕事なら、私たちだけでもできそうに思いますが、礼拝堂の天上は高いので、昇降車など、それなりの機械が必要なようです。
8月30日(木)工事をする人たちは通路にビニールシートを貼ったりして、できるだけ、教会を汚さないにしてくれてはいますが、やはり、いつも以上に汚れが目立ちます。いつもサンクスギヴィングの前にしている大掃除を、すこし前倒しにして、工事が終わり次第できたらいいかなと思いました。
8月31日(金)聖書研究の導き方を訓練する会を持ちたいというので、そのための打ち合わせをしました。自発的にやってくださることなので、励ましてあげられるようにと願い、打ち合わせに臨みました。
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