USA Diary

January, 2012

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1月1日(日)新年、明けましておめでとうございます。暖かく、穏やかな元旦となりました。日曜日の朝、昼はゆっくり食事ができないので、夕方、お雑煮を食べました。
1月2日(月)最近、多くのお店でプラスチックの買い物袋を出さなくなりました。代わりに紙のバッグを使いますが、それも5セント、あるいは10セント、支払い時に加算されます。きょうの買い物には紙バッグを持っていきました。そうすると紙バッグ代を引いてもらえるのですが、たいていは、「ドネーションにしますか?」と聞かれますので、そうしています。今までの買い物では、チェックアウトのとき「ペーパー・オア・プラスチック?」と聞かれたのですが、これからは、「ドネーション・オア・リファンド?」と聞かれるようになるでしょう。
1月3日(火)アメリカのお正月は、1月1日がお休みとなるだけで、愛想のないものですが、今年は元旦が日曜日だったため、2日もお休みだった人も多かったようです。いまごろは日本でも、お店がお休みなのは元旦だけで、2日から営業のところも多いと思います。お正月の過ごし方も時代とともずいぶん様変わりしたことでしょう。
1月4日(水)こども病院の ICU にお見舞いに行きました。この病院では PICU と呼んでいます。P は Pediatric(小児科)のことでしょう。ここには小児がんと血液の病気の専門施設があり、この地域だけでも何千人という小児がん患者がいると聞きました。どの年齢の方も入院している姿は痛々しいものがありますが、ちいさなこどもがベッドに横たわっている姿を見るのは、とても辛いものです。見舞いに来た者がそうであれば、両親はなおのことと思います。このご家族のため、祈り続けたいと思います。
1月5日(木)きょうでクリスマスの12日間が終わりましたので、クリスマス・ツリーを片付けました。明日はエピファニー、玄関の入り口やドア、あるいはドアの上の横木にチョークで「20+C+M+B+12」と書いてその家の祝福を祈ります。CMB は Christus mansionem benedicat.(May Christ bless this house.—キリストがこの家を祝福されますように)の略で、それを2012年の「20」と「12」の真ん中に書くのが習わしとなっています。
1月6日(金)毎日、晴天の日が続いていますが、ほんとうは、今は雨期のはずで、水不足が心配されています。ところが、教会のスプリンクラーが毎晩勢い良く水を撒いているというので、近所の方から注意されました。これはガーデナーの仕事なのですが、早速、三日おきに水がでるよう、教会のスプリンクラーを調整しました。
1月7日(土)きょうは東方教会のクリスマスです。東方教会はユリウス暦を使うので、西方教会とずれがあるのです。BBC のウェブサイトにロシア正教会のクリスマスの画像がありました。アメリカのプロテスタントの人々には見慣れない風景かもしれませんが、そこで礼拝する人々も、キリストにある同じ兄弟姉妹であることを忘れてはならないと思います。そこに三位一体の神への信仰とキリストへの礼拝があるかぎり、たとえ伝統が違っても、それはまぎれもないキリスト教です。伝統の違いをもとにキリストのからだである教会の一部を無視するのは知恵のあることとは思えません。また、浅い歴史しか持たないアメリカのプロテスタントが東方教会を切って捨てるようなことを言うのは、思い上がりだと思います。
1月8日(日)朝の新約クラスで、ペテロ第一の手紙3:19-20を学んできました。ここは解釈‎がいくつかあり、聖書の難解な箇所の一つなのですが、きょう、一応の結論に達することができ、この箇所の中に神の大きなあわれみを発見することができました。とても良い学びができたと思います。
1月9日(月)ひさしぶりに映画を観に行きました。軍馬として売られていった馬と、その馬をかわがいがって育てた若者とが、戦場で再会し、無事にふるさとに帰っていくという物語で、"War Horse" というタイトルがついていました。単純なストーリーですが、飽きることはありませんでした。戦争の悲惨さとともに、人の心の暖かさをも描いた良い映画だと思います。
1月10日(火)同僚の牧師と牧師会に行きました。いつものことですが、車の中での会話は楽しく有意義なものでした。「牧師会で話すよりいいね」と彼も言っていました。大勢での話し合いからも、良い意見を聞くことができますのが、少人数の親しい会話からは、より深いものを得ることができます。
1月11日(水)祈り会では、暗唱聖句をはじめましたが、今のところ順調にいっています。暗唱聖句によって、どんな場合でもみことばが答えであり、力であることを感じます。
1月12日(木)土曜日からダラスに出かけるので、そのための準備をしました。毎年受けている健康診断の予約もしておきました。
1月13日(金)夕方の聖書クラスで「かるた」とりをして、聖書のストーリーのおさらいをしました。「かるた」のことばは長短さまざまにしか作れなかったので、おいおい、五・七・五に直していきたいと思います。
1月14日(土)今年もダラスの教会に招いていただきました。今回はサンフランシスコから出発しました。サンフランシスコ空港でのセキュリティ・ラインが混み合って、そこを通り抜けるのにとても時間がかかりました。でも、ダラスへのフライトは、とても空いていました。14、15、16日は三連休となるので、遊びに行く人は金曜日の午後か土曜日の午前に出発したからかもしれません。ひとりで横並びの席全部を占領して、ゆったりと飛行機の旅を楽しみました。
1月15日(日)ダラスの教会で朝の礼拝と夕の礼拝のメッセージをしました。朝は教会で同時通訳つきでしたので、原稿にそってお話ししましたが、夕は家庭での礼拝でしたので、原稿を見ることができませんでしたので、メッセージは用意した原稿どおりになりませんでした。それが良かった面もあれば、うまくなかった面もあります。こんな状況も考えて、いつも礼拝で使う原稿とは別の原稿を用意すれば良かったと反省しています。
1月16日(月)今日はマーチン・ルター・キング牧師の記念日、休日なので、昨晩は夕礼拝のあと、幾人か遅くまで話し込んでいましたが、話の内容は信仰的なことでしたので有意義であったと思います。きょうの夜も、鍋料理を囲んで楽しく過ごしましたが、きょうは遅くならないで、皆、家に帰りました。
1月17日(火)ダラスはサンノゼより寒いだろうと覚悟して来ましたが、思ったより暖かく、助かっています。きょうは気温がうんと下がるだろう‌と予報されていましたが、そうでもなく、昼食は朝の聖書の学びに出られた方々と一緒に、夕食は友人といっしょにおいしいものを頂きました。それぞれ、サンノゼより値段も安く、おいしいものでした。
1月18日(水)時間ぎりぎりまで教会での祈り会でお話しをして、それから空港に送っていただきました。ダラス空港はセキュリティラインが短く、すぐそこにターミナルがあるので、そんなに早く空港に着いていなくてよく、すぐに飛行機に乗ることができました。ダラスに行くときは空いていたのですが、帰りの飛行機は、遅い便なのに、混んでいました。それでも空席があったので、空いているところに移ることができ、窮屈な思いはしなくて済みました。この記事も飛行機の中で書くことができました。
1月19日(木)私たちのシニア・グループのアドバイザー、戸田ジョージ先生は、大人がかかると致命的なガンを発病し、危険なところを何度も通ったのですが、みごとに癒されました。そして、毎年していただいている年頭のメッセージを、きょうのシニア・グループでしてくださいました。
1月20日(金)こんどの礼拝ではバプテスマについて話します。スライドを使ったほうが効果的かと思い、それを作ってみました。あまりファンシーなものではありませんが、なんとか助けになるかと思います。礼拝メッセージはたんなるレッスンではないので、スライドが中心にならないためにも、スライドをあまり凝ったものにはしたくなかったのです。
1月21日(土)きょうは私の誕生日でした。ある方がそのために大きなケーキを届けてくださいました。私の健康を考えてか甘さを控え目にしてくださり、とてもおいしくいただきました。
1月22日(日)先週はダラスに出かけたのですが、明日からまた南カリフオルニアに出かけます。いろいろと準備もあるのですが、きょうの午後はベイエリア日本語教会の協力委員会があって、3月に行われる集会の打ち合わせをしました。
1月23日(月)今日から教団の牧師リトリートです。ひとりでドライブしましたが、途中、あらかじめ用意してきたレクチャーのCDを聞きながらでしたので、時間を無駄にせず、また退屈せずに来ることができました。ここ、マータ・ドロロッサ・リトリート・センターはいつ来ても心落ち着く場所です。リトリートの様々なプログラムがあり、日曜日の礼拝メッセージの準備もありますが、個人的な祈りの時間を多くとりたいと思います。
1月24日(火)今回のスピーカーは、私が以前、National Pastors Convention で取ったセミナーの講師の方だったようです。あるがままの自分で神の前に出ることを、午前と午後のセッションで、プラクティスを通して教えてくださいました。私も、こうしたリトリートを日本語でやりたいと願っていますので、内容ばかりでなく、その進め方からも多くを学ぶことができました。
1月25日(水)午後、自由時間がありました。この時間を利用して友人に会いにいくつもりで車で来たのですが、できませんでした。かわりにハンチントン・ライブラリーを訪ね、グーティンベルグ・バイブルを見てきました。思ったよりも大きな聖書でした。ひとりの見学者がガラスのケースに入った聖書を長い間眺めていました。
1月26日(木)リトリートが終わりました。来年のリトリートの会場は、もしかしたら別の場所になるかもしれません。もしそうなったとしても、ここはプライベート・リトリートも受け付けているので、いつか、個人で、あるいはスモール・グループでここに戻って来れたらと思っています。
1月27日(金)ダラスのあとシエラ・マドレへの旅行が続いたので、少々疲れが出たのでしょうか、今日は礼拝メッセージの準備にあまり集中できませんでした。他の仕事は少々疲れていても、何か心配ごとがあってもできますが、礼拝メッセージの準備だけは、集中が必要です。明日の午前中は個人ミーティングがあるので、午後から準備の仕上げをすることにしました。
1月28日(土)同じ教団の牧師夫人が主のもとに召され、きょう、サンタ・アナの教会で葬儀が行われました。私は行けませんでしたが、同じ時間に葬儀を覚えて祈りました。大きなお葬式になるようですが、お葬式が大きけば大きいほど家族の負担は増すだろうと心配しています。愛する者を亡くしたときには、静かに、また、十分に悲しみの時を過ごすのが、一番の慰めとなり、いやしとなると私は信じていますので、ご家族があまり多くのことに煩わされないようにと願いました。
1月29日(日)きょうは聖餐礼拝でした。教会のウェブページのタイトル画像は「麦とぶどう」で、その解説に「これは聖餐のパンとぶどう酒を表わしています。私たちは、聖餐とそれが表わしている信仰をしっかり守り、キリストのいのちの恵みの中に生き、それを伝えたいと願っています」と書かれています。きょうの聖餐が、ことばのように成長する教会の糧であって欲しいと願って、聖餐の司式をしました。
1月30日(月)久しぶりの、我が家のムービーナイトでは「武士の家計簿」を観ました。加賀百万石の会計武士がソロバンを「お家芸」として引き継いでいく、親子三代にわたる物語でした。若い俳優が老人の役をするのには少々無理がありましたが、実話に基づいたストーリーはなかなか良くできていて、現代への教訓が多くありました。
1月31日(火)ベトナム出身の方から、ベトナムでは皆が貧しいので自分が貧しくても少しも苦にならなかったという話を聞きました。着物は一年間同じものを着、家は山から木を切ってきて建てればよく、アメリカのように家のモゲージで苦労することもない。ただ、心配なのは食べ物だけで、食糧はいつも不足しているとのことでした。だから、彼は、奥さんに「余るほど沢山作るな」と言い、子どもには「残さず食べろ」と言うのだそうです。それは、私のこどものころも同じでした。アメリカでもそういう精神が必要だと思います。
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